12月14日(土)   久しぶりの京都。御所周辺の路上は黄葉が散って、積もっていました。

京都精華大学教授・山田國廣さんの退職記念講演会が、京都市のザ・パレスサイドホテルで開催されることを知って、聴きに行きました。山田先生には、私が市議選に立候補する際、推薦人になっていただだいたこともあります。また、1998年1月には都市政治研究所・自治体議員勉強会の講師として話していただきました。実は、このところすっかりご無沙汰してしまっていて、今回の退職記念行事のことも、先日、愛媛県議の阿部悦子さんから教えてもらいました。その折の阿部さんの話によると、私と阿部さんを引き合わせてくださったのも山田先生だったそうです。久しぶりにお目にかかったのですが、山田先生も堺の市長選のことを心配してくださっていました。

●演題は「自然・人間・放射能 環境活動の45年」
講演は、「私は、環境学者と呼ばれるより、環境活動家と言われるのがふさわしい」という話から始まりました。そして、3.11の後、5月から毎月、福島へ足を運んでおられることを披露。「福島の放射能を少なくすることに、45年間の環境活動を生かしたい」と、その思いを語られました。
1967年に京都工繊大大学院を出て阪大工学部助手となり、大学紛争を経験。1969年には100トンの船をチャーターして、2週間、瀬戸内海の現場調査を行ったこと。その調査で環境汚染の実態を把握し、併せて、補償金で海を売り渡した漁民の苦悩などにも学んだそうです。その後、淀川水系の調査を通じて水道水に含まれるトリハロメタン(発がん物質)の問題を指摘。これらの経験が、福島の放射能汚染への対応の参考になっているとのこと。

●「除染はできる」、「除染を自分たちの手で」…
お話の後半は、現在取り組んでおられる「住民自身による除染」に力点が移りました。国や自治体が進めている除染には、その方法などに問題があることを指摘。「本来は国と東電の責任でやるべきだが、子どもたちを長期低線量被爆から守るため、住民が自分たちの手で除染を始めませんか」と呼びかけていると説明。また、何度もの試みの後、住民自身が手軽に実施できる効果的な除染方法を見つけたことなどの実践も、具体的に語られました。
講演の最後に、「45年間を振り返ることはできなかった…」と、やや残念そうな口ぶりをされつつ、その分、福島現地でさらに続けようとされている活動への意欲と熱意がみなぎっていると印象づけられた聴衆は、私だけではなかったと思います。