ずいぶん古い写真(下)ですが、1982年8月、政治倫理条例制定の直接請求署名を集める、津久野駅前でのひとコマです。電車が到着するたびに、通勤帰りの方々が署名簿を置いた机まで来てくださるという熱気のある運動でした。私も若く、41歳。
●汚職事件に怒る堺市民の運動
私が堺市議に初当選は、1979年のこと。3年目の9月に汚職事件が摘発され、翌年3月には逮捕された市議の有罪判決が確定しました。同じ事件で逮捕された職員は起訴の時点で懲戒免職。にもかかわらず、汚職市議は議員を辞めず、市議会の多数派は「辞職勧告決議」を否決しました。
ならば、「市民の手で市議会を正常化しよう」と、私を議会に送り出した市民の皆さんと知恵を絞りました。ちょうどその頃アメリカで制定された「政府倫理法」を猛勉強。汚職防止のための「資産公開制度」を取り入れ、「住民参加」を随所に織り込んだ条例案が出来上がりました。
●4万5千人の署名で汚職議員は辞職…「1対50」の議会が「39対11」に
1982年の夏、炎天下での直接請求運動が始まりました。4万5730人の署名が集まり、運動の最終日に汚職市議が辞表を提出。運動は大成功でした。もっとも、市議会での当初の賛成者は私1人。全議員が参加する特別委員会を設置して議論を交わす中で賛成議員は39人(最後まで反対したのは11人)となり、1983年2月25日の本会議で可決しました。条例が公布・施行されたのが3月17日で、以来、ちょうど「30年」になりました。