3月6日(水)   暖かくなって昼間は15℃。しかし、朝は1℃。陽が落ちてからも寒いです。

予算委文教分科会での私の出番は、午後1時40分。昨日の日記を読んで傍聴に来てくださった方々もありました。

●「がん教育」の指導資料が完成へ…新年度からの授業に活用
最初に、がんに関する教育への取り組みを質しました。昨年12月中旬から始まった指導資料作成委員会と同作業部会の活動により、指導資料のまとめは最終段階に入っており、今月半ばに完成予定。またこの資料を活用して、新年度より、小学校6年の体育科と中学校3年の保健体育科の年間指導計画に位置づけた授業を行うなどの答弁がありました。「がん対策推進条例」の制定と並行して議論を進め、市教委も積極的に取り組んだ結果、条例施行に遅れることなく、「がん教育」の実施態勢が整ったことについて、「関係者の努力に敬意を払う」と評価しました。

●「体罰根絶マニュアル」に背く学校長の対応を追及
続いて取り上げたのは、今年度中に発生した4件の体罰事件。その報告書を読んでいて気づいたのですが、2件は市教委への発生報告が著しく遅延していました。市教委が策定した「体罰根絶マニュアル」には、「即刻報告」との指示があり、対応・措置のチャートにもはっきりと示されています。ところが、報告があったのは、1件が発生から6日後、もう1件は10日後でした。10日も遅れた事件では、被害生徒が全治1か月の重傷を負わされているのです。

●23年前、大浜中学校の体罰事件でも同じことを指摘
「体罰が起これば即刻市教委に報告せよ」との校長への指示は、実は1985年に出されました。また、私はたびたび体罰をめぐる議論をしており、古い会議録を探したら、1990年の9月議会で取り上げた大浜中学の事件でも、11日の報告遅延を指摘しています。続く12月議会では陵南中学と上野芝中学での体罰事件を取り上げ、頻発する体罰に対する具体的な対応が必要だと迫ったところ、市教委は「体罰防止マニュアル」を作成すると答弁。全国でも初めてのマニュアルが1991年に完成しました。その後2回の改訂を経たのが現在のマニュアルです。

●「体罰防止マニュアル」ができたのに、殿馬場中、三原台中学校、原山台小で…
マニュアルが全校に配布され、教員に徹底したものと思っていたのに、翌92年前期に3件の体罰事件が発生。なかでも三原台中学では、同一教員による体罰が繰り返されました。7月に開会した臨時議会で私が指摘したところ、当時の教育長が「2度と起こさない」と決意を語って謝罪。しかし、その後も体罰は続いているのです。そして、事件を学校内だけにして外に出さないという体質が引き継がれ、報告の遅れも繰り返されています。それに、かつては学校名や加害教師名まで明らかにしていた報告書は、いつも間にかたくさんの黒塗りで覆われ、内容の把握も困難になっています。「改善すべきだ」と釘を刺しておきました。

余談ですが、議論が終わって退室すると、ソレイユ堺の小堀セイジ議員が待ち構えていて、「当時、三原台中の生徒でした」とのこと。生徒の間で、「市議会で誰かが、暴力教師のことを追及してくれた」と話題になっていたそうです。