6月25日(火)   午後少し晴れ間も見えましたが一日梅雨空です。29℃で、蒸し暑さも…

朝いちばんにパソコンを開くと、「堺市議会はよく決議した!」という件名のメールが入っていました。発信者は那覇市在住の真栄里泰山さんです。
「長谷川さん、ご無沙汰しています。今朝の新聞で、堺市議会の橋下辞職の決議。異例な決議ですがよくやったと思います。これで大阪人の人権意識、人間への誇りが取り戻せたと思っています。こんな人、こんな腐った思想を持つ維新などを大阪の代表にしているのでしょうか。理解しかねていました。2度も3度も侮辱された沖縄人として、大阪、大阪人を嫌いになるところでしたが、堺市議会の勇気ある決議に思い直しつつあります。世界も大阪を注目しています。このままではうんざりして、誰も大阪観光に行きません。人権のまち=大阪の心意気を世界にアピールしてください」
真栄里泰山さんは元那覇市職員。企画部長や経済部長、政策調整監などを歴任され、退職後は沖縄大学客員教授をされています。30年ほど前、情報公開先進市だった那覇市を訪ねてお目にかかり、その後シンポジウムのパネラーなどでも同席させていただきました。以来、何かとご教示に預かっており、下の写真は、2006年1月、自治体議員勉強会で訪沖した際のものです。
また奇遇ですが、私の弟の妻が真栄里さんと幼なじみで、小中高の同級生だったことが、この勉強会を契機に判明しました。1944年生まれ。翌年3月から米軍による沖縄攻撃が始まります。昨年刊行された下の本は、朝日新聞で次のように紹介されています。

▼沖縄戦の最中に0歳から1歳の乳飲み子だった世代は、どのように死線をさまよい、生き残ったか。 「赤ん坊たちの〈記憶〉 一九四三年〜一九四五年に生まれて」(牧歌舎)は、記憶にない出来事を肉親らの「埋もれた記憶」から追体験し、記録した本だ。
▼真栄里泰山(まえざと・たいざん)さん(67)の体験はこうだ。自身の泣き声に「敵に聞かれたらどうなる。泣かすな、首を絞めろ」と日本兵から何度も迫られた母親が、切羽詰まって赤ん坊を穴に入れ、木の葉をかぶせた。母親は諦めきれず、翌日見たら、穴にはハブが入っていた。驚いてハブを追い出すと真栄里さんはまだ生きていた。
▼那覇市の真和志中を60年に卒業した人たちが企画した。44年ぶりの同期会で、沖縄戦をどう生き延びたかという疑問が出たのが発端だ。
※引用記事=朝日新聞(2012.7.6)

●サンフランシスコ市議会は全会一致で橋下氏に謝罪要求決議
メール転載の了解を得るため久しぶりに電話で話したのですが、真栄里さんが堺市議会の決議を知ったのは今朝の「琉球新報」だそうです。もう一つの地方新聞「沖縄タイムス」は昨日、「橋下氏に謝罪要求決議・サンフランシスコ市議会」という見出しの記事を掲載しています。
▼大阪市の姉妹都市である米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会が、橋下徹・大阪市長(日本維新の会共同代表)の「従軍慰安婦」制度をめぐる発言を非難する決議案を全会一致で採択していたことが分かった。
▼同氏の発言や態度は世界中から強く非難されたとし、オバマ大統領や米議会、同州選出の上院議員らに、日本が戦時中の残虐行為を認める法律を採択し、公式に謝罪するよう働き掛けることを要請。サンフランシスコのリー市長が橋下市長らに決議書を届け、公式に謝罪することを要求している。【平安名純代・米国特約記者】