8月14日(水)   朝方は26℃。久しぶりにエアコンを切りました。しかし、午後は37℃です。

昨日の日記を書く際、誤りを指摘しておいた市立堺病院から、「ホームページに“お詫びと訂正”を掲載した」との連絡がありました。新しく作り直した「1923年とはどんな年?」(下図)も載せています。
ここに書かれている「関東大震災」(9月1日)の後に、「亀戸事件」(9月3日)や「甘粕事件」(9月16日)が起こりました。亀戸事件では、東京府の亀戸警察署が労働争議で対立関係にあった社会主義者ら10人を逮捕し、その後日本軍によって刺殺。また、甘粕事件では、大杉栄や伊藤野枝らが憲兵隊の手で連行され、殺害されました。
なお、「虎ノ門事件」(12月27日)は、一連の労働争議弾圧に対する社会主義者の反発によって発生したものと言われています。「堺市立公民病院」(後に「市立堺市民病院」→「市立堺病院」と改称)の開院は、10年後のヒトラー政権誕生や日本の国際連盟脱退に至る軍国主義国家へ歩みが始まる時代だったようです。

●市長選(9月15日告示・29日投開票)への動き
ところで今日は、各方面への挨拶などを試みたのものの、相手先がすべてお盆休み。時間ができたので午後に登庁して、最近の情勢把握に努めました。
告示が1か月後に迫った市長選は、すでに再選出馬を表明している現職の竹山市長に「対抗馬を出す」と言っていた維新の会の候補者が西林敏克市議と決定。現職市議が市長選に挑むのですから、すでに議員辞職願が提出されたと思っていたのですが、まだのようです。公選法の規定では、9月4日までに欠員が生じたら市長選と併せて市議補欠選挙が実施されます。8月定例会が23日から始まるので、その議会日程に基づく常識的なタイムリミットは27日の本会議。議会内には、「市長選に負けた場合、自分が市議に戻るための議席を確保するため、補欠選挙を避けるのではないか」と観測する関係者もいました。
▼「都構想」を選挙争点にすることも回避するの?
大阪都構想に反対する竹山市長は、「堺はひとつ!堺を無くすな!」を旗印に選挙準備に入っています。ところが、読売新聞(2013.7.31)によると、橋下氏は「人口80万人の堺市を1区とすることも選択肢の一つ」と言い出したとか。しかし、大阪市会財政総務委員会(2013.1.28)での柳本顕委員への答弁では、次のように発言しています。
「堺市80万というのは大きすぎます。基礎自治体のバランスをとるためにも、堺市は40万程度に2つに分かれていただく。それは、周辺の市町村と含めて少なくとも2つぐらいに分かれてもらわなければ…最低でもですよ。それ以上でも、3つか4つなのか、それはまた議論してもらえばいいんですげど、今のままの大きさではやっぱりおかしいと思っています」
堺市議会でも、「堺市を含めて中核市程度の特別自治区に分割する」と発言した維新会派の議員が、5か月後には「分割するということは一言も我々は言っていない」と言い出すなど、極めていい加減であることを、私は昨年3月の議会で指摘しました。(下写真) 一体、維新が目指す「大阪都構想」とは何なのか。それを示さない“選挙戦”で堺市民の目をごまかすことは、絶対に許せません。