9月1日(日)   昨夜から断続的な雨。ときには強く降り、午後の気温も27℃までです。

堺市が全国初の政治倫理条例を制定したのは、1983年2月。元福岡県議の村瀬俊朗さんに初めてお目にかかったのは、その年の秋だったと記憶しています。条例制定のニュースを知った福岡県飯塚市の市民の方3人が7月に来堺され、10月16日の市民講座に私を呼んで下さいました。当時、社会党の飯塚市議だった村瀬さんが講座に参加されていたかどうかは定かではないのですが、それを契機に始まった条例制定運動を手伝うため、私がたびたび飯塚市を訪問するうち、村瀬さんから市議会の情報などをいただくようになりました。
飯塚市議会は、1986年2月に政治倫理条例を可決。2年数ヶ月に及ぶ住民運動が実を結びました。村瀬さんは住民の活動に協力し、議会内でも制定に向けて働き続けられていました。またその後、県議となって1999年までご活躍。公職を離れられた後も、しばしば達筆の書簡を下さり、折々の政治状況に対する鋭いご指摘に学ばせていただきました。
ところが、今日届いたお連れ合い様からの便りによると、「去る2月22日、胃がんが広がり他界致しました」とのこと。お便りには、「その日まで、新聞を見、平和の問題、特に原発の問題で心を痛めており、何とか力になりたいと願っていたようです」と記されています。先日発送した「議員活動報告」へのご返信だったのですが、福岡で社会党(後の社民党)が元気な時代、まさに“原則的活動家”だった村瀬さんのお姿が偲ばれます。謹んで哀悼の意を表します。

●今日は、笹岡保男さんのお墓参り
村瀬さんの訃報に接したのは、4年前まで長谷川事務所の事務長をしていただいていた笹岡保男さんの墓参から帰った直後です。笹岡さんは、私が堺市議会にカムバックする決意を表明した2002年以来、7年間にわたって私の活動を支えて下さいました。その笹岡さんの命を奪ったのは大腸がんです。命日にあたる8月18日前後にお墓参りをするつもりだったのですが、私が風邪を引いてしまったため、今日になりました。一緒に議員活動を手伝って下さってきた方々と共に、美原区の墓地に眠っている笹岡さんに手を合わせ、堺市のがん施策をいっそう推進させることを誓いました。