8月28日(木)   未明に降り始めた雨で涼しくなりました。午後もぐずつき、最高気温26.7℃。

朝から登庁して、議会運営委員会を傍聴。私の大綱質疑は3日目=9月5日(金)のトップバッターと決まりました。午前10時に開会して最初の発言です。3つのテーマを考えていますが、1日目と2日目の発言者の質問通告項を見た上で、1日(月)に決定します。議運終了後、選挙管理委員会と協議。また、上下水道局から議案の説明を受けました。

ところで、日頃お世話になっている弁護士の金子武嗣さんが、「私たちはこれから何をすべきなのか−未来の弁護士像−」を上梓されました。著者は1973年に弁護士登録。2010年には、大阪弁護士会会長・日弁連副会長を務められました。その折に閉塞状況を感じた弁護士や弁護士会の歴史を調べ、この本の第一部にまとめられています。また第二部は、「自分史としての活動史」として、40年余の弁護士活動で関わった主な事件(森永ミルク中毒、高野山放火、豊田商事の破産管財など)から「見えること」と「見えないこと」を書き起こされました。
なお、表紙を飾る色紙「談言微中解紛、而拓和平連帯」は、私の恩師でもある末川博先生の揮毫。「話をしていて微笑みの中で紛争を解く。もって、平和と連帯を拓く」という意味だと、著者が後書きで解説しています。1976年春、末川先生宅を訪問した際の頂き物だそうです。
その1976年の夏に、私は金子武嗣弁護士と初めて出会いました。当時、超過密・過大校だった金岡中学校(現・金岡北中)で起こった卓球部の生徒死亡事件で、保護者が提訴した裁判を傍聴した折のことです。保護者側の代理人を務める初々しい弁護士が登録3年目の金子さんだったことは、後で知りました。その後、1979年に堺市議となった私は、議員の海外旅行に反対する市民の住民訴訟に協力。金子弁護士らに住民グループの代理人をお願いしました。
また、私は2008年2月、シャープ誘致に焦った堺市が臨海部の用地整備工事(10億円)を清水建設と随意契約したことを追及。この事件について住民の皆さんが住民訴訟を起こした際にも、金子弁護士に代理人を務めていただきました。そして2009年1月、大阪地裁が「随意契約は違法」と認定する判決を得たのです。もちろん、40年近いお付き合いの中で、法律に関する助言や指導は、これらの事件のほかにもたくさんいただいています。
この本を通して「未来の弁護士・弁護士会のあり方」を考えたいという金子弁護士は、現在、東電福島第一原発の避難者の救済を目指す「原発賠償関西弁護団」の団長も務めておられます。そして、様々な事件を介して知り合った全国の弁護士との関係について、「弁護士は『主義主張』ではなく、その活動への『共感』が一番大切ではないかと思います」と、今回の著作を結ばれました。(日本評論社刊・定価1800円+税)