建設委員会で委員外議員発言。取り上げたのは、西区鳳公園の指定管理者を随意契約で指定する議案です。最初に指定議案が提出されたは2006年で、指定団体への市議の関与などが問題となり、私は認めませんでした。その後も経緯し、今回は4度目の指定となります。
同様に不透明さを指摘してきた東文化会館は、2回目から公募となり、今年4月には指定管理者が入れ替わりました。今日は、鳳公園についても、これまでの随契をやめて公募制度を採用することを主張するつもりでした。これに対して市当局は、指定管理者による管理制度そのものをも見直すことも含め、今後3年間の業務を検証する旨を答弁。もし、現制度が存続するなら公募とすることを求めました。
●追悼・野坂昭如さん
直木賞作家の野坂昭如さんが、堺市に来られ、一緒に市民会館のステージに立って下さったのは、1975年6月27日でした。前年、74年7月の衆院選に落選した野坂さんは、各地で「事後運動の会」を展開。同年4月の堺市議選で初当選を果たせなかった私と、堺での催しをして下さったのです。
当時、堺市では、臨海コンビナートからの排ガスによる大気汚染公害が深刻でした。まさしく、いま中国で発生しているPM25汚染と同じような状況の中、これに対する住民運動も起こっていました。そこで、集会のテーマは「公害問題を考える」とし、前日に来堺された野坂さんを臨海部の工場地帯に案内。また、当日は、ゼネ石労組支部長の小野木祥之さん(故人)の企業告発があるなど、参加者の議論が弾みました。そして、最後に確認したのは、「暮らしの中から行動を!」。
野坂さんは、その後、1983年6月に初当選した参院議員を辞職して、同年12月の衆院選に出馬。田中角栄元首相と同じ新潟3区で金権政治に対する闘いを挑まれたので、私も応援のために現地に赴きました。謹んで、哀悼の意を表します。