2月1日(月)   朝、予報にはなかった雨が降りました。その後は曇り空で、2.6℃〜9.5℃。

駅前議会報告を予定していたJR浅香駅前に着いたら、雨が落ち始めました。配布ボランティアの方々も来て下さっていたのに残念ですが、またまた順延です。このため、今週は毎朝の早起きを覚悟。明2日(火)中百舌鳥駅南側、3日(水)中百舌鳥駅北側、4日(木)JR浅香駅前、5日(金)白鷺駅前のハード日程を組みました。

さて、今日は午前10時から、100条調査委員会です。委員長から、開会前の9時30分に助言を依頼した安生誠弁護士との懇談の場を持ちたいとの連絡があったので、早めに登庁。前回の委員会で議論した「委員会運営の申し合わせ」や「小林議員に証言を求める事項」などについて、弁護士見解が示されました。

●小林議員の証人尋問は、2月12日(金)午後1時〜5時と決定
100条委員会では、まず、弁護士助言に基づいて修正して示された「委員会運営の申し合わせ」と「小林議員に証言を求める事項」の正副委員長案を確認。その後、小林議員への証人出頭を請求する日時について協議しました。
前回の委員会では5つの候補日時を決め、議会事務局が小林議員に打診。しかし、小林議員は「補佐人」の都合から、どの日にも出頭しかねるとの意向だったそうです。今日の委員会では、小林議員から委員長宛に届いた文書が報告され、それによると、「2月12日、16日、18日のいずれか」という出頭可能日が示されていました。そこで、委員会を休憩して委員の日程を調整。2月12日午後1時〜5時の予定で、証人尋問を行うことを決めました。

●維新委員による、理解不能な進行妨害
ところが、再開した委員会で尋問日を決定(全会一致)した後、委員長が小林議員への証人出頭請求を議題とすると、突然、大阪維新の会の池田克史委員が異論を唱え始めました。「市長が刑事告訴し、受理されることが濃厚な段階で本人の出頭拒否も予想されるから、それらのことを事前に協議する必要がある」というのが、その言い分です。
そこで、私は、「小林議員が委員長宛文書を提出したのは1月29日だ。市長が告訴を明らかにした27日の後に尋問への協力姿勢を示しているのだから、粛々と進行するべきだ」と反論。多くの委員も、私の意見に賛意を表してくれました。池田委員はその後も延々と同趣旨の発言を繰り返したため、委員長が採決を宣言。維新の池田委員、三宅委員、井関委員だけが反対したものの、他の全委員の賛成で可決しました。
池田委員は執拗な発言の中で、「せっかく(小林議員を証人として)呼んでも意味がないところがある。捜査機関が入るのが確実視され、証言拒否という事態になれば労力をかけてやるのは疑問だ」とも言いました。もしかしたら、維新の会は、形だけの「党員資格停止処分」も解除した小林議員を守るという立場から、「証言拒否」で臨むという方針を決定したのかもしれません。ならば、どうして尋問日を2月12日とすることに反対しなかったのでしょう。休憩中の協議では、自民党の野村委員が「12日の公務を犠牲にしてもよい」と表明したことに対して、維新の三宅委員が「それなら、18日の自分の公務を休む」とさえ言明したのです。
池田委員の理解できない抵抗は、100条委員会の設置に反対した大阪維新の会が、やっぱり委員会での調査の進行妨害を始めたと思わざるをえないのです。