6月13日(月)   昨日からの雨は、夕方まで降り続きました。気温は夕方に高く、23.9℃。

今日の大綱質疑では、西高野街道についての先日来の調査結果を基にして、いくつの提言を試みました。

@府教委の調査報告書でも、西高野街道の起点は「大小路」とされている。当該地点にその旨の表示をすべきではないか。
A国道からの曲がり角や、街道が大きな道路と交差する所では、進路を示す案内表示が必要ではないか。
B堺市の建立した「西高野街道」の石柱には方向の表示がない。河内長野市のような矢印があると分かりやすい。改善すべきだ。
C榎宝篋印塔(1648年建立)はフェンスの奥にあって、案内板も道路から見えない。管理方法などの検討ができないか。
D西区福田の分かれ道の石標は、明治38年に大阪府がバイパス(左の道)を建設した折に立てられたものを撤去して再建した。その際、元の位置(左手商店の脇)に復元しなかったため、実際の道路状況を反映していない。実際の進行方向を誤らせないような改良が必要だ。

●建設局・文化観光局が改善を約束
これらの提言に対して、建設局長は「起点案内を行い、曲がり角などでは矢印や道路施設を活用して分かりやすい表示をする。福田の石柱も改良策を考える」と答弁。また、文化観光局長は「西高野街道沿いの石柱などは貴重な歴史文化遺産だ。観光客や八十八か所お遍路さんに堺から歩いて高野山に参ってもらえるようにPRに努めたい。榎宝篋印塔の案内板は道路から見えるようにする」と答えました。

●「関係自治体と連携して取り組む」と市長
さらに、竹山市長は「西高野街道は世界文化遺産の高野山に通じる道だ。百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産が実現すすれば2つの世界文化遺産を結ぶ街道となる。関西広域連合の中でも、徳島県、和歌山県、堺市、大阪全体の観光の周遊を形作ることが必要だと思う。今後、鉄道事業者や街道沿いの自治体などとも連携して一層PRしたい」と答弁。

なお、今日の質疑では、調査過程で知ることができた三国丘中学校郷土部の活動や「道ばたの文化遺産研究会」が残された貴重な資料にも触れました。それらことは明日の日記でお伝えするつもりです。