12月18日(月)   0.5℃〜8.5℃。朝の気温が1℃を切り、寒さはさらに厳しさを増しました。

岩尾幸代さんを偲ぶ集いに参加するに当たって、佐賀市のリコール運動の記録を読み返しました。
そして、現在のリコール署名簿に設けられている代筆記入欄が、この運動に携わった人々からの問題提起で実現したものであったことを思い返しました。

1992年当時、署名は自筆か視覚障がい者の点字しか認められていなかったので、手の障がいなどで文字を書くことができない人は署名の権利を奪われていました。
佐賀市民たちは、「公選法に基づく選挙で代理投票を認めながら、自治法の直接請求が障がい者の権利を侵害している」と主張して、代筆署名を選管に提出。しかし、選管は代筆署名を有効とすることを拒みました。

地元代議士が国会で論陣を張り、佐賀県議会が全会一致で意見書を採択するなどの経緯を経て、1994年に自治法が改正されるに至ったのです。

●直接請求制度の問題点は他にも…
恥ずかしいことに、私自身、1982年の政治倫理条例制定の直接請求運動に関わった際、障がい者差別だと気づきながら制度改正まで求める働きかけはしませんでした。
佐賀市民による政治参加の力はリコールを成立させるだけではなかったことに、改めて敬服させられます。
リコール運動の記録には、「障害者のいっそうの政治参加の実現に意欲を示すとともに、住民がもっと積極的に政治や地方自治に参加できるよう、直接請求の署名収集期間を大都市では延長することや、署名簿作成の簡素化など引き続き取り組んでいます」と記されていました。

先般の堺市でのリコール運動でも、選挙による署名収集期間の分断、数千票で当選した議員を辞めさせるのに4万以上の署名が必要なこと、生年月日記入や押印の強要など、様々な制度上のハードルの高さを感じました。
住宅構造も変化してオートロックマンションが増え、このような集合住宅では「ローラー作戦」と呼ばれる戸別訪問も事実上不可能です。

それにしても、4人の議員(運動途中で3人に)を同時にリコールする運動を成功させた佐賀の市民たちの25年前の運動に脱帽です。大したお役に立てなかった私を買いかぶって下さった「リコール市民の会」の事務局長や次長も、すでに鬼籍に入られています。