9月8日(金)   未明まで雨。しかし、天気は回復し、30.0℃。また「真夏日」に戻りました。

午前中に、8月定例会の最終本会議。市長提案の議案は、28年度一般会計の決算の認定に大阪維新の会が反対した以外は、すべての議案が「全会一致」で可決されました。市長選を控えて、事あるごとに竹山市政を批判した維新議員たちも、結局、ほぼ全部の議案に「賛成」しているのです。

●「定常型社会」という考え方
さて、その維新の市長選スローガンは「停滞か、成長か」。彼らの頭脳は、戦後社会の最大の特色である「経済成長の神話」から脱却できないのでしょう。2年前に他界された篠原一さん(東大名誉教授)は、『市民の政治学』(岩波新書)の「はじめに」のところで、次のように書いています。
「もうすでに、われわれは脱成長社会という新しい時代に足を踏み入れつつあるのである。そしてここでいう成長はモノの成長、つまり物質的成長を意味しているから、脱成長社会が到来しつつあるとすれば、モノ一辺倒ではない、脱物質的価値観が優勢になるだろう。とすれば、単なる経済の問題だけでなく、人間と社会全体のあり方いかんが問題にされざるをえなくなるであろう」
そして、広井良典さん(医療経済学者)の「定常型社会」という概念を紹介し、それは「経済的成長を絶対的な目標としなくても十分な豊かさが実現される社会のこと」と説いています。

●「カジノ」を当てにした“成長”など、まっぴらです
篠原さんがこの本を出したのは、2004年。もう、13年も前のことです。しかし、私たちは、ときには「アベノミクス」などという言葉に惑わされて、「それでも成長はある」と思い続けてきたのかもしれません。でも、そろそろ「失敗だった」とも、気づきはじめています。
それでも大阪維新の会が「成長」を唱えるのは、彼らが大阪で実現しようとしている「カジノ」に期待しているのではないでしょうか。万一にも“維新市長”が誕生したら、「カジノの一部を堺に!」などと言い出しかねません。
篠原さんは、定常型社会では「人間的な豊かさが実現される」との広井さんの主張も紹介しています。“博打経済”が人心の荒廃を招くことは目に見えているのですから、今一度、「定常型社会」について考えてみたいと思い、『市民の政治学』を読み返しています。