12月7日(土)   冠雪した伊吹山や富士山に見とれながら上京。気温は4℃低く、雨でした。

情報公開クリアリングハウス20周年記念シンポジウムが専修大学神田キャンパスで開催されたので、日帰り上京。
第1部「情報公開制度をつくる、使う、育てる活動を振り返る」のパネラーの方々は、私の初当選の頃から始まった情報公開制度の実現と運用に取り組んで来られた方々で、ずっとご指導をいただいてきました。皆さんが揃った久しぶりのシンポジウムで、相変わらず熱心な活動の様子を伺いました。
第2部「ローカルだけれどグローバルな問題、ローカルだけれどソーシャルな問題と情報公開」では、沖縄、福島、守口(大阪)で、情報公開を使ってそれぞれの地域課題に取り組んでいる女性3人の興味深い活動ぶりを聞きました。
第3部「政府は『私たち』の政府になれるのか?」は、クリアリングハウス理事長・三木由希子さんの問題提起。

●37年前、堺市の政治倫理条例もテーマに
シンポジウムの資料には、クリアリングハウスの前身になる「情報公開を求める市民運動」の活動経過がまとめられています。1979年9月に自由人権協会が「情報公開法要綱」を発表して以来の取り組み状況ですが、1983年5月の同市民運動定例会のテーマは「堺市政治倫理条例と資産公開」。同年2月、堺市民が直接請求運動で成立させた条例が話題になっています。
この年の手帳を調べてみたら、5月28日(土)に上京して奥津茂樹さんと面談した記録が残っています。第1部パネラーの奥津さんは、確か「情報公開を求める市民運動」の事務局長でした。記憶が薄れていますが、その日が「定例会」だったのかもしれません。