6月11日(火)   「曇ったり、晴れたり」という天気。予報の雨は消え、19.5℃〜26.5℃。

百舌鳥八幡駅前で議会報告。踏切で一旦停止する車からのご声援をいつもいただきます。ありがたいことですが、くれぐれも安全運転にご注意ください。

ところで、竹山市長が初当選した2009年9月27日のアクション日記のアクセス数は、その頃の通常数の3倍でした。翌28日(月)の朝9時過ぎには500を超えていましたから、出勤した堺市職員が「長谷川はどう考えているのか」を確かめたかったのだろうと想像しています。

維新市長が誕生した一昨日の日記へのアクセス数も、通常より4割程度は多かったようです。ただ、2009年ほどの増え方ではなかったのは、第一に私の言動への注目度が下がっているからでしょう。また、職員の多くは維新市長の誕生を予測し、それなりの覚悟を決めていたのではないかとも思えます。

2009年の市長選は、自民・公明・民主などの主要会派がこぞって現職市長を応援し、「横綱相撲」などと豪語していました。そんな現職市長に約4万7千票の大差を付けて竹山氏が初当選したのですから、職員の動揺も大きかったのではないでしょうか。

●竹山市長の失脚に伴う選挙では・・・
今回の市長選は、その竹山前市長が政治資金問題で辞職したことに伴うもの。巨額の記載漏れや「政治とカネ」をめぐる竹山氏の認識に対して、市民の怒りが高まりました。維新候補は、それをさらに煽るような選挙活動を展開し、絶対的勝利を確信していたに違いありません。

「もしかしたら無投票か」との観測も流れるなか、告示日のわずか10日前に野村友昭さんが自民党を離党しての立候補を決意。当初は「ダブルスコア、いやトリプルスコアで負ける」と予測する人さえありました。そんな劣勢の中でスタートした野村選挙でしたが、真摯に政策を語る候補者の姿への共感が広がり、応援する市民の数も日増しに多くなったようです。

その結果、当選した永藤氏との得票数の差は約1万4千。永藤氏が前回(2017年)に竹山氏に挑んだ市長選の折の約2万3千票差よりもぐんと詰まっています。投票率は40.8%で、前回(44.3%)より3.5ポイントも下がりました。

もし投票率がもっと上がっていたら、野村さんの逆転勝利さえありえたのです。4年後を見据え、職員の心理も複雑かもしれません。