3月31日(火)   10.5℃〜19.5℃。久しぶりに暖かい日ですが、曇りがち。道中で小雨も。

腹部大動脈瘤の手術を受けた弟の術後1か月診療に立ち会うため、兵庫県小野市の北播磨総合医療センターへ行ってきました。
同医療センターでは、医師2人と看護師2人が新型コロナウイルスに感染。3月12日〜25日の間、外来診療、救急受入、新たな入院受入を中止していたのですが、26日から予約診療を再開しています。
もちろん、新たな感染防止対策をとっての診療再開です。正面玄関では、右側に「発熱、風邪症状の人」専用入口を設け、一般入場者と区分していました。
さらに、一般入口から入る際も、手指のアルコール消毒を促し、一人ひとりに病院職員が簡単な問診を実施。発熱や倦怠感の有無などを確認して、院内滞在中はその問診用紙を携行するように求められました。

堺市でも日々感染者が増えています。大阪府健康医療部の発表によると、昨日3人、今日2人(累計13例)の感染が明らかになりました。市内医療機関でもいっそうの対策が求められます。

ところで、志村けんさんの死は衝撃的です。東京新聞のコラム「筆洗」に次の一文が・・・
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「笑っちゃったよ、うちの子がね」。童謡「七つの子」の替え歌が子どもたちの間で流行(はや)っていることをドリフターズのいかりや長介さんに教えたのは演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんだそうだ。「カラスなぜなくの カラスの勝手でしょ」−▼とぼけた声。気詰まりな子どもの心を代弁するようなある種の投げやりさ。受けた。それを歌い、日本を笑わせた名コメディアンの死がつらい。志村けんさんが亡くなった。七十歳▼笑いに真剣に取り組み、昭和、平成、令和の長きにわたって、日本をくすぐり続けた人だろう。日本人が懸命に働き続けた一九七〇年代の「東村山音頭」や「ヒゲダンス」。バブル期の「だっふんだ」。そのナンセンスさがそれぞれ時代の憂いをつかの間吹き飛ばしてくれた▼たとえば、こんなコント。暗い夜道を歩く志村さんにおばけが忍び寄る。志村さんは気づかない。観客の子どもたちが声を上げる。「志村、うしろ、うしろ」▼あのころの子どもたちはコントであることも忘れ、その人に危機を伝えたかった。助かってほしかった。土曜日の夜、志村さんはわれわれの友であり、われわれ自身であったのかもしれない▼新型コロナウイルスが日本の「愉快」を奪っていった。「うしろ、うしろ」と言われた人が今度はわれわれに気をつけてと教えてくれているのか。新型コロナの勝手にカラスが声をあげて泣く。
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