8月3日(火)   25.5℃〜31.6℃。久しぶりに待望の雨。昼前からは曇り空に変わりました。

訃報が続きます。2003年の市議カムバックに際して格別の応援を賜った「Oさんが亡くなられた」と、元事務所スタッフのUさんから涙混じりの知らせが入りました。Oさんはずっと以前に新金岡にお住まいで、交通事故で大きな障害を負ったご子息のリハビリや介護のため、懸命に取り組まれました。
その後、南区に転居されていたのですが、私の市議復帰の試みを聞き、ご自身の手で泉北ニュータウンの全戸にビラを届けることを決意。毎日、毎日、その日の目標地域の地図を片手にまわり、完了して下さいました。
当時は全市一区の選挙で、開票区は4つ。2位当選した私の得票は8183票でした。そのうち、地元といえる新金岡団地を含む第2開票区で2980票。また、泉北ニュータウンを含む第4開票区では2797票を得ています。総選挙出馬のために市議を辞める前の市議選(1991年)での第4開票区の得票は1555票でしたから、大幅な増票でした。それは、Oさんのひたむきなご尽力の結果であることは歴然としているのです。
葬儀は家族葬で営まれるとのこと。午前中にご遺体が安置されている葬儀会館を訪ね、お別れをさせていただきました。豪快でありながら緻密な方でもあったOさん。そのご恩にあらためて感謝しながら、81歳の生涯を偲び、謹んで哀悼の意を表します。

午後は、「自治体議員立憲ネット−ワーク」の定期総会(ZOOM会議)に出席。議事終了後、上智大学教授・中野晃一さんの講演を聞きました。菅政権のことを田中真紀子さんが「安倍家の生ゴミバケツのふたの取っ手」と評していることなどを紹介。自民党内が「菅首相では選挙を戦えない」との空気に包まれていること、比例区での絶対得票率(棄権を含む有権者全員の得票率)から見ると自民党は16〜18%台で推移しており、野党連合の奮起が求められることなど政治の現状への厳しい分析を伺いました。

さて、大阪府の今日の新規感染者は1079人。やはり、昨日(月曜)の2倍以上になりました。なお、亡くなられた方はゼロで、堺市の新規感染者は55人でした。

▼Oさんらが懸命に配布して下さったビラ(画像クリック→拡大)