clock 2011. 11
2011.11.20
「寒くなる」という予報に反して、18℃前後の気温がほぼ一日続きました。

午前中は所用で大阪市内へ。午後、事務所で市民相談をお受けし、調査中の市政の問題点を探りました。

2011.11.19
徳之島で竜巻(?)被害のニュース。昨夜からの雨が、激しくなりました。

家族と買い物に出かけ、たまたま同じ会場(インテックス大阪)で催されていた「住まいの耐震博覧会201」を見てきました。あらためてイベント情報を確認すると、「住宅の耐震化をキーワードに、木材、建築、設備機器などの製品を紹介する総合展示会が行われます。太陽光など最新設備も満載です」とPRされています。会場に備えられた免震機能付き地震体験車で、東日本大震災の揺れを体験。また、太陽光発電システムの各社展示にも興味が湧きましたが、なぜかシャープは出展していませんでした。

2011.11.18
朝12℃だった気温は徐々に上がって17℃。お昼頃から雨模様です。

今日の議会運営委員会には、大阪維新の会・堺市議団から、「教育基本条例案」と「職員基本条例案」が提出されました。委員会室の机上に配布された両条例案にさっと目を通した限りでは、ほぼ、大阪府議会に提出されているものの丸写しに見えます。そこで提案者に、「府議会や大阪市議会に提出された同名の条例案とどこが異なるのか?」と質問しました。残念ながら要領を得た回答はなく、「後刻、文書で説明されたい」と要請して、矛を収めました。
議運終了後、待ち構えていた北区長らから大豆塚二丁会問題への取り組みについて報告を受けました。また午後は、堺市の高齢者生活支援事業のひとつである「おむつ給付金」の制度変更に関して、住民の方と長寿社会部との話し合いに立ち会いました。

2011.11.17
朝から快晴です。しかし、お礼の電話をかけたソウル周辺は「雨」だそうです。

午前中は、留守の間にいただいた電子メールや郵便物に目を通し、また、滞っていたいくつかの仕事を片付けました。午後から登庁して、市教委に調査依頼していた事項を報告の受け、議会事務局などと協議。例年の12月議会の開会が早まり、明日は、初日本会議の議事運営を協議する議会運営委員会です。

2011.11.16
韓国旅行6日目(最終日)=ソウル市役所も、アポなし訪問です。

7年前の訪韓の折は、鄭在吉教授とソウル市議会を訪問。今日は市役所へ…と思って出かけてみると、全館(右写真の左端建物)工事中です。写真の王宮守門将交代式は「大漢門」前で行っており、門の左脇道路を少し進んだところに仮庁舎がありました。

受付で「ソウル市の概要が分かる資料をほしい」と申し出ると、案内されたのは1階エントランスホール奥に設置された部屋です。入手できた資料は、この部屋の入口の書架に置いてあるものだけでしたが、カウンター業務に興味を覚え、質問しました。
応対してくださった金善花(キム・ソンファ)さんの話しによると、この窓口は市民からの相談や苦情を最初に受け止める業務をしている「総合広聴課」のようなもの。1日に200〜1000件超の相談があって、20人の職員が対応しているのだそうです。
私が、「議会の資料もほしい」というと、金さんが別棟の議会棟まで案内してくださいました。しかし今日は、10月26日の選挙で当選した朴元淳(パク・ウォンスン)市長の就任式があるため、慌ただしそうな雰囲気です。議会受付では資料をいただくだけにしました。

鄭先生が一昨日、朴新市長について「市民派が当選した」と言っていました。「市民こそ市長」のスローガンを掲げる就任式は、40分間、インターネット中継するだけ。納税者のため、経費節減に努める姿勢をアピールする狙いがあるようです。時間がなく、現地で見届けるのは断念しましたが、式の模様は動画(日本語字幕付き)で見ることができます。
※ソウル市長就任式動画→http://www.youtube.com/watch?v=2dw3SN8ucmc

ソウル市庁を出て、北村韓屋村を大急ぎで散策した後、仁寺洞で民淑さんおすすめの「野菜ビビンバ」と「チヂミ」の昼食。界隈のお店やロッテマート(スーパー)ソウル駅店などで土産を買い、2泊したアストリアホテルに戻りました。古くて小さなホテルですが、地下鉄・忠武路(チュンムロ)駅に近く、明洞にも歩いて行ける便利な立地で、7年前もここを利用しました。
仁川空港へは、近くの世宗ホテル前バス停からリムジンが通じています。ソウル北方にある東豆川(トンドゥチョン)市の自宅に帰る民淑さんが、「お父さん、お母さん(『おかん』は、私たちをそう呼んでいました)を、ぜひ見送りたい」と空港まで同道。19時10分発アシアナ航空OZ116便の関空着は20時50分。ほぼ定刻どおりのフライトで、帰宅は深夜になりました。

2011.11.15
韓国旅行5日目=7年前の訪問時に見逃した昌徳宮と漢江クルーズ

朝、ホテルの窓から、向かいのビルに出勤したサラリーマンたちの喫煙風景が見えます。

今日はまず、初めての韓国旅行(2004年)の際に行けなかった昌徳宮へ。7年前には、ソウル市のホームページからボランティアガイドを申し込んだのですが、そんな制度はなくなり、ガイドも組織化されている様子です。実は、鄭民淑さんも、ガイド試験をめざしています。
午後は、いちど乗ってみたかった漢江クルーズを楽しみました。民淑さんが交渉して、私たちは高齢者割引料金でした。しかし、寒い川風の季節に乗客は多くありません。写真中は、デッキにいた南アジア系と思える青年に英語で話しかけ、シャッターを切ってもらったものです。

今回の旅行で利用したソウルの地下鉄は、駅のホームドアが設置されていました。また、乗降位置に優先座席や車いすのマークが付けてあり、これらを利用する乗客の利便を図っていることにも、興味を覚えました。
ところで、昌徳宮見学の後、仁寺洞で食べた「すいとん」はなかなかの味でした。昼食時の店内は地元の人たちで混み合っていました。なお、今回の韓国旅行で「焼肉」を口にしたのは一度きりです。

2011.11.14
韓国旅行4日目午後=上党山城に登り→鳥致院駅からソウルへ

市役所訪問を終え、息子と合流して、清州市東方にある上党山城(サンダンサンソン) に登りました。周囲4.2qの巨大な石積みの山城で、市街地が一望できます。「登山靴値下げセール」の広告も出ており、城郭の山歩きは敬遠。名物の豆腐海鮮鍋を食べて下山しました。
上党山城からタクシーで高速バスターミナルに向かい、ソウルまでのバス便を予定していたのですが、ソウルのバスターミナルは不便なところにあります。タクシーの運転手さんにすすめられ、鳥致院(チョチオン)駅から国鉄を利用。ムグンファ号(急行)でソウル駅に着きました。

●鄭在吉(チョン・チョキル)先生と5年ぶりの再会
ソウルへ急いだのは、一昨日、全北(チュンブク)大学校法科大学の鄭在吉教授から、「ぜひ議論したいことがある」との電話があったからです。ご夫妻で姿を見せてくださった鄭先生と明洞の世宗ホテルで落ち合い、全州中央会館で食事をしながら、大阪のダブル選挙などについて意見を交わしました。地方自治学者の先生は、海外研究で滞日中、私の著書「市政と政治家がこんなに変わる」を読み、我が家を訪ねてきてくださったのです。以来、20年ほど交流が続いています。

2011.11.14
韓国旅行4日目の午前中=清州市議会をアポイントなしに訪問

清州市を初めて訪問したのは、5年前(2006年11月)でした。その折、市内を案内してくださるなど大変お世話になった経済課国際通商係の鄭榮洙(チョン・ヨンス)さんにお礼を言うため、市役所を訪ねました。受付で用件を伝えると、「鄭榮洙さんは研修中で、この庁舎にいない」とのこと。それでも、来意を察して研修先に電話をつないでくださり、ご本人に気持ちを伝えることはできました。
その後、別棟になっている清州市議会を訪ね、議会事務局で「見学させてほしい」とお願いしました。事前予約もせず、ちょっと気が引けたのですが、担当幹部が仕事の手を休めて、まず本会議場へ。「委員会室も見たい」と申し出ると、企画行政委員会の会議室、書記室(委員会ごとに担当書記を3人配置)、委員長室、委員室を案内していただきました。幸いにも、その委員室で会議中の3人の議員が快く面談に応じてくださり、清州市議会の議員活動の一端を垣間見ることができました。

お目にかかったのは、写真の左から、金明洙(キム・ミョンス)、金成澤(キム・ソンテク)、金榮周(キム・ヨンジュ)の各議員。今日の会議は、近く始まる「行政事務監査」のため、議案書を読みながらの相談とか。清州市の人口は64万人。現在の市議数は26人で、うち女性は5人です。企画行政委員会のほか、財政、環境、福祉の各委員会を設置。議員任期は4年ですが、正副議長の任期は2年と法律で決められています。また、所属委員会は2年交代で、希望すれば引き続いて同一委員会に所属することもできるとのこと。なお、清州市は韓国で最初に情報公開条例を制定した自治体です。そして、私たちが座っている奥の壁には、「清州市議会議員倫理綱領」が額に入れて掲げられていました。

懇談を終え、3議員から「昼食をごちそうしたい」とお誘いを受けましたが、丁重に辞退してお別れしました。右端の写真は、案内してくださった議会事務局の潘東鎮(バン・ドンジン)さん。役職を伺うと、「中間管理職です」との返事がありました。潘基文・国連事務総長の甥にあたられるそうです。また、企画行政委員会の各室は、趙徳衡(チョ・ドクヒョン)さんにご案内いただきました。

※議員倫理綱領を規定している「清州市議会議員倫理綱領及び倫理実践規範等に関する条例」をホームページの「アクション日記」(1038ページ)に掲載しています。ご参照ください。
http://www.gulf.or.jp/~syun-ei/hp_011-korea/nikki_korea08.html

2011.11.13
韓国旅行3日目。水原市→清州市。予想より暖かく、いい天気です。

日曜日を承知で、市役所を訪ねました。休日入口を探して「市議会を見学できないか」と交渉したところ、「鍵がかかっています。事前予約されてたら可能だった…」と申し訳なそうな返事。エントランスロビーの見学はOKで、昨日歩いた水原華城のパノラマ模型などを見ました。
興味深かったのは、市役所前の道路に張られた横断幕(写真左)です。民淑さんの話では、「政治家から10万ウォンもらうと、100万ウォンの罰金」と書いてあるとか。買収行為の防止啓発運動が行われていたらしく、期間は「12月3日〜11日」と記されています。民淑さんが、「どうして8日間だけ?」と首をひねっていました。

ずうずうしい市役所見学を終え、バス便で忠清北道の清州(チョンジュ)市に向かいました。バスターミナル近くのリホ観光ホテルに早めのチェックインをし、タクシーで息子たちの作品が展示されている「HIVE」へ。この団体は、清州市の補助金で外国人の滞在や制作活動を支援しています。今日は、息子の韓国の友人たちも見に来ていました。下の写真は展示作品のひとつで、自転車で団地を巡り、警備員に追われながら夜間撮影に励んだそうです。

2011.11.12
韓国旅行2日目。滞在した水原は快晴で、暖かい日となりました。

朝10時、ガイドをお願いしていた鄭民淑(チョン・ミンスク)さんがホテルに来てくれました。民淑さんは京都精華大学に留学中、私の息子らと活動を共にした人で、面倒見のいいことから「おかん」と呼ばれたそうです。今日は、その「おかん」の案内で、「水原華城」(スウォンファソン)の見学に出かけました。およそ5時間かけて全長5.7qの城郭を一周。写真中の右上部に見える八達山(143m)山頂もコースの一部です。

水原華城は、18世紀末に李氏朝鮮第22代国王(正祖)が、「老論派」(党派のひとつ)の陰謀により非命に倒れた父(思悼世子)の墓を水原に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めた城。戦乱等で一部消滅し、城郭の内外は市街地化しています。1997年、ユネスコ世界文化遺産に登録。現在も、修復工事が進行中です。

城郭見学の途中、キムチ作りのシーズンを迎えて賑わう市場、朝鮮ニンジンの普及を図る農業団体によるPR活動、園内に設けられた器具で体力づくりに励む地元の人たち、小学生の校外学習風景などを興味深く観察しました。城郭内の市街地で路上に溢れる違法駐車は、かつての日本にもあちこちに見られた光景です。最後に、日本の植民地時代に破壊され、市民運動で復元された「華城行宮」(ファンソンヘングン)を見学し、ホテルへ。夕食は、デパ地下食堂です。

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