「前立腺がん患者のつどい」には、20人の方々が参加されました。ほとんどが、「議員活動報告」やホームページでの案内を見てやって来られた方です。お住まいの地域も、北区だけでなく、南区、美原区、松原市、大阪市と広がっています。家族といっしょに来られた方、ご本人が出席できないので代わり参加された家族もあります。また、胃がん、肺がん、舌がん、大腸がんなど、闘っておられる「がん」も多様で、中には「闘うのではなく、共に生きる気持ち」とおっしゃる方もありました。それぞれの病状や思いを語りながらの自己紹介の後に、市立堺病院放射線部長の池田恢先生(元・国立がんセンター放射線部長)のお話。そして、池田先生への質問や意見交換など、参加者の皆さんに大きな意義を感じていただける催しになったと思います。
議会や自宅に届いたチラシに誘われ、「放射能が大阪に??住民説明会」なる市民集会に参加しました。主催したのは「おかんおとんの原発いらん宣言」と「放射能からイノチを守る南大阪ネットワーク」。どうやら、私の子ども世代の方々のようです。会場の堺市総合福祉会館に100人ほど集まった参加者の中にも、子連れの若いお母さんの姿が目立ちます。東日本大震災と福島第一原発事故を体験し、市民運動を担う新しい層が生まれているのを実感しました。
また、「住民説明会」とうたっているだけに、大阪府の受入指針の問題点や、堺市が受け入れた場合の処理施設(東清掃工場)を見学しての指摘、内部被爆の話など、よく準備されていました。それに、被災地(福島県郡山市)から避難してきて堺市で暮らすお母さんの呼びかけは、参加者の胸を打ちました。なお、以前に住民運動のお手伝いをさせていただいたことのあるKさんやNさんと、久しぶりに再会できたのもうれしいことでした。
いつもよりも時間がかかった議会運営委員会が終わった後、取材していた某紙記者が「白熱しましたね」との感想を漏らしました。普段なら、初日本会議の議事運営についての協議だけで簡単に済む会議が白熱状況となった理由は2つあります。その1つは、大阪維新の会が「大阪にふさわしい大都市制度の推進に関する条例」(都構想協議会の設置条例)を提案すると表明したこと。もう1つは、自動車運転過失傷害と道交法違反(ひき逃げ)容疑で起訴された元維新・西井勝議員の出処進退について、私が質したことです。
●議運冒頭に諮られた西井議員の議運委員辞任と健康福祉委員長辞職
20日に初公判があるという西井議員は、当人が釈明に姿を見せた1月19日に維新の会市議団から会派離脱して、議運委員を辞任。また、つい先頃、健康福祉委員会委員長の辞職願が提出されたと報告がありました。議運委員はすでに維新の会から補充されており、健康福祉委員会委員長の後任選びが必要です。私から、「副委員長(公明党)を委員長とし、ソレイユ堺か共産党の委員を副委員長としてはどうか」と提案したところ、すんなりまとまりました。
●なんとなく“自信なさげ”…維新堺市議団提案の「都構想協議会条例」
維新の会による条例提案は、竹山市長が「不参加」を表明した都構想協議会について、議会議決で「参加」を強制しようという企みです。しかし、府議会や大阪市会に提案される設置条例は、堺市を除外して「府・大阪市」による協議会の設置条例になると見込まれます。そこで、「それらと異なる条例を制定すれば齟齬をきたすのでは?」と維新議員に質問したら、「3条例の構造は変わらない」と回答。ところが、他の委員の質問には「堺市議会で可決したら、府や大阪市の条例を修正してもらう」とも答え、答弁は明らかに矛盾します。さらに、「堺市の分割は市民の意見を聞いてから…」と言い始めたので、「だとしたら、事前に意見を確かめる住民投票でもするのか?」と詰めると、委員ではない議長(維新)が突然、「長谷川委員の質問はこの場(議運)ではふさわしくない」と横やりを入れる始末です。
●西井議員の出処進退は「判決確定後」…1月19日の前言を翻す対応。橋下・松井両氏も容認?
維新の会の発言でさらに驚いたのは、市民の皆さんから議会の対応も問われている西井議員の出処進退です。1月19日の議運委員の会議では、「初公判後10日くらいに出る判決まで待ってほしい」と言っていました。にもかかわらず、今日は「判決確定後のこと」と前言を翻しました。この事件については、橋下代表や松井幹事長が、いち早く「堺市議団を通じて議員辞職を求める」と表明したことが新聞各紙で報じられています。もしかしたら、維新の会は西井議員に辞職を思いとどまらせようしているのではないでしょうか。
堺市議会の議員定数は52。このうち、西井議員が離脱後の維新は12ですが、衆院選を控えて橋下党と手を結び始めた公明12と合わせれば24になります。これに対して、都構想参加に反対する会派などの議員数は合計27。しかし、そのうち1人でも切り崩せば「25対26」となり、西井議員の1議席を足せば「26対26」の同数です。つまり、議長を出した側がいつも採決で負けるという議会構造が生まれるのです。堺市議会で維新の意向を通すため、橋下・松井両氏もこれを容認しているのでしょうか。「長谷川の“邪推”にすぎない」と抗議されることを期待しつつ、この一節を書いています。
●「がん対策推進条例案」は公明党が準備する方向
今日の議運では、5月定例会で制定を提案し、健康福祉委員会での条例案作成を試みた「がん対策推進条例」について確認しました。すると、議運委員長が「府議会で条例案作成の中心となった公明党に委ねている」と発言。公明党委員からは「もろもろの事情で作業が遅れているが、近くまとめたい」との表明があったので、「了解する」と表明しました。政令市では、岡山市、大阪市に続く条例として、ぜひとも議員提案で成立させたいと思っています。また、条例案には堺市の特性を踏まえた内容を盛り込むことも必要です。
午後から、来年度予算案の説明です。概要はすでに新聞などで報道されていますが、一般会計の当初予算総額は3510億円。前年比2.4%の伸びです。私が議会で強く主張してきたことに関しては、新規事業として「総合がん検診」(約5153万円)、JR堺市駅東側エレベーター設置のための調査委託費などが盛り込まれました。しかし、不育症治療費の助成は実現しませんでした。なお、総合がん検診は、各種のがん検診をいちどにまとめ、休日(土・日・祝)に受診できる制度で、平日は仕事で忙しい方々にも受診機会が広がります。ただ、受診できる病院などの所在地に偏りがあって、南区や美原区では受診機関の確保が課題となります。
●30年来の懸案…市有地での釣り堀営業が解決
ところで、すでに新聞報道されましたが、私が30年前から求めてきた、公園用地内での釣り堀営業について、立ち退き交渉が解決し、そのための経費支出が2月議会に提案されます。下の写真は、「市長が解決姿勢を示せ」と迫った2006年9月議会での議論に際して撮影した「天王池」。それ以後、営業者との交渉に進展がみられ、もうひとつの懸案だった「永山池」については、昨年3月に解決しています。永山池の担当は管財、天王池は公園と所管は異なりますが、難航していた交渉をまとめるに至った関係職員の労をねぎらいたいと思います。
予算説明の後は、道路部、商工労働部、保育施策推進室、市教委などから報告を受けました。
午後、市立堺病院での打ち合わせから戻り、議員控室で仕事をしていたら、「安全なエネルギー対策特別委員会」の模様がモニタースピーカーから流れてきました。通常の委員会運営とは異なる雰囲気に興味を抱き、委員会室に足を運んで傍聴。「意見交換会」との名目の会議だったのですが、出席者は同委員会委員(11人)だけではありません。他に、担当副市長をはじめとする関係職員(13人)、関電大阪南支店長など同社員4人、大阪ガス南部地区支配人など同社員8人、それに特定の消費者団体に関わる市民5人。上の写真のように出席者が机を囲んで意見を交わしていました。市民や事業者を交えての議論は特別委員会の会議形態として新しい試みで、検討中の議会改革のモデルともなりそうです。ただ、参加市民を特定団体の人とせず、公募で選ぶなどの広がりをもつようにすれば、もっと意義深いものになったような気がします。
●来年度予算案の説明会はお流れ
なお、今日は朝から、財政局による予算説明のために登庁したのですが、当局の説明態勢が整っていなかったため、明日に延期となりました。時間が空いたので、昨日いただいたお手紙による相談に対応。また、2月議会での議論に備えて資料請求などに当たりました。
朝から登庁して、相談者と市教委との話し合いに立ち会いました。午後は、市立堺病院事務局から独立行政法人化の手順などについて説明。また、企画部からは関西広域連合への参加、文化部と文化振興財団からも先日来の指摘事項についての説明がありました。合間に、総務局長がやってきて新たな副市長人事について、すでに新聞報道があったことの釈明。竹山市長は、「堺市初の女性副市長」(候補)で新鮮さを演出しようとしているのでしょうか? 都構想協議会への参加をめぐって「橋下党」に楯突いたのなら、腹を決め、大胆かつ斬新な「政策」「政治姿勢」「竹山流改革」を市民に示さなければ、来年の市長選は勝負になりません。
ほぼ一日、事務所で仕事。午後からほんの短時間、北区役所に出かけ、夜は事務所で市政法律相談です。難しい相談でしたが、友人の司法書士とともにお話を聞きました。
NPO法人「がんと共に生きる会」の公開講座(今日はそう表記されていました)に参加。会場は、大阪駅前第3ビル5階にある大阪市立総合生涯学習センターのメディア研修室。各自のテーブルにパソコンが設置されていて、分からない言葉をすぐに検索できるという便利な施設です。私のほか、池側、北野両議員も参加しました。
●大阪府のがん施策などについて学習
この法人の理事長をしている佐藤愛子さんの挨拶に続いて、副理事長兼事務局長の濱本満紀さんが「大阪がんえんナビ」について説明。次に、大阪府医療部保健医療室健康づくり課の課長補佐・森元一徳さんの「ここが知りたい・これからのがん政策」と題する、がん対策推進条例の特徴や府のがん施策についての講演がありました。さらに、森元さんと、昨日お会いした島根県職員の小豆澤信司さん、高知県職員として同県がん対策推進条例の制定に関係した小椋和之さんが鼎談。また、厚労省のがん対策推進協議会委員だった海辺陽子さん(現在は社会保障審議会委員)、星ヶ丘厚生年金病院の院長補佐としてがん医療に当たる辰巳満俊医師などの興味深い発言を聞くことができました。
なお、小椋さんと海辺さんは「がんと共に生きる会」の副理事長でもあります。これらの方々のほか、大阪対がん協会専務理事の藤崎昌彦さん、「大阪がんえナビ」制作委員会事務局長の川相一郎さん、大阪肝臓友の会副会長の栃尾惇さんなどにもご挨拶。ご縁が広がりました。
今月初めからインフルエンザにかかっている母を見舞いました。前回見舞った時は、やや重症の罹患者を集めた部屋に隔離されていたのですが、今日は病室が変わり、かなり快方に向かっているようで一安心。午後は、「がんと共に生きる会」が明日開く公開座談会のために、出雲から来阪された佐藤愛子さんを大阪空港に出迎えました。同行の島根県職員・小豆澤伸司さんにもご挨拶。小豆澤さんは、島根県の行政担当者として、 がん条例やがん対策基金の策定・実施に携わった方だそうで、明日のお話が楽しみです。
新金岡団地の地域新聞「こんにちは!」の編集に携わっていたころに撮った写真を整理していたら、思い出深い一枚が出てきました。
●堺市の図書館行政を発展させた、栗原均さんの大きな功績
撮影場所は、堺市立図書館(現中央図書館)の館長室で、中央が当時館長の栗原均さん。左は館外奉仕係長(後に新金岡図書館長)の丸井一城さん。陳情書か要望書を持ってきた女性たちの横合いから頭をのぞかせているのは私の息子です。栗原さんが館長を務めたのは1972年(9月)〜1977年。その間、新金岡図書館(移転後、現北図書館)や泉ヶ丘図書館(現南図書館)が開館するなど、堺市の図書館サービス拡充が始まりました。栗原さんの仕事は、施設や図書の整備だけでなく、利用する市民の力を活用して図書館を地域社会に根付かせるものだったと思います。なお、写真は息子の年齢から推察して1972年に撮影したもののようです。
●図書館協会事務局長、理事長として、図書館界の発展にも寄与
就任前、大阪府立図書館の主幹兼整理課長だった栗原さんは、46歳〜51歳の5年間、堺市の図書館長を務めた後、府立図書館に復帰されました。1978年から日本図書館協会の事務局長として活躍し、1993年には理事長に就任。2001年5月、75歳で理事長を退任後も顧問となり、社団法人読書推進運動協議会の副会長をされるなど、日本の図書館界の発展に貢献。しかし、昨年11月13日、急性腎不全のため85歳で逝去されました。
●逝去2か月前、他人を思いやり、ご自身の病にも触れた手紙
栗原さんには、桃山学院大学司書講習で参考業務(レファレンス)の講師もしていただきました。実は、堺市の関係者が館長就任を要請するため、授業を終えた栗原さんを訪ねて来た折、講習事務室にいた私も立ち会っています。私が1979年に市議になってからは、図書館政策の勉強にあたって、しばしば教えを受けていました。そして、昨年6月以降、前立腺がん罹患を見舞うお手紙を何度かいただき、9月3日には、ご自身が腎不全で7月から入院されていた旨の記載があって心配でした。そして9月13日のお手紙では、治療を終えての議員活動再開に「感服している」との言葉とともに、「野間読書推進賞」の選考会議に病をおして参加し、堺市図書館友の会会長・松井郁子さんが最高点で受賞者となったことなどを知らせてくださいました。
●心残りを抱きながら、参加できなかった「栗原均お別れ会」
栗原さんの信じられない訃報を韓国旅行中に聞き、2月7日に東京で催されたお別れ会にも公務出張のため出席できませんでした。お世話になるばかりで、ご恩に報えなかったのが心残りですが、あらためて哀悼の誠を捧げます。