clock 2018. 9
2018.9.10
22.5℃〜26.2℃。昨日来の雨が激しくなり、堺市にも大雨・洪水警報が。

堺市は先日、大規模災害発生時のアスベスト調査に関する協定を、市内業者などが設立した「環境計量協議会」との間で締結しました。その経緯などについて気になることがあるので、明日の決算委員会市民人権分科会で質問することにしました。今日は午前中に登庁して、所管する危機管理室からヒアリング。併せて、健康福祉委員会に向けての情報収集にも当たりました。

2018.9.9
24.0℃〜28.0℃。朝から断続的に雨。しかし、止み間に作業ができました。

台風で我が家の倉庫の屋根に倒れているシュロの木。隣家が本宅などの被災対応に追われておられるので、当方で撤去させてもらうことにしました。朝から、雨の止み間に作業。まず、葉の付いた枝を切除。午後、林業作業に手慣れている息子の友人が京都からやって来て、幹を処理してくれました。切り株を並べて測ってみたら、木の長さ(高さ)は6.4mです。幹の周りは上部が108pと太いのに、下部はわずか33p。地上20〜75pの部分で斜めに折れていました。

2018.9.8
22.5℃〜27.8℃。秋雨前線で、ほぼ全日の小雨。気温は下がりました。

昨日の日記について、妻からクレームがありました。賞味期限切れは私が見た非常持出袋だけで、期限内のものもきちんと備えているそうです。まあしかし、古いものは早く処分する方がいいのでしょう。

2018.9.7
25.1℃〜30.7℃。一時の降り止みはあったものの、終日雨で、蒸し暑い日。

猛烈な強風と長時間の停電という災害を実際に体験し、「避難」に供えて非常持出袋を改めると、どの品も、賞味期限が切れてから10年近いものばかりでした。もっとも、この際にと試食してみたら、缶詰のカンパンは期限切れでもすこぶる美味です。それにしても、ロウソクはひん曲がっており、子どもが小さかった頃の「おんぶひも」まで入れたままの袋もありました。

幸いにして小被害だった今回の被災を通じて、非常時に持ち出す物の日頃からの点検が必要なことを痛感しました。また、停電体験からは、電気を使わないダイヤル式電話機を併用する必要性を実感し、倉庫の中を探しています。

それにしても、天気予報によって備えることができる台風に比べ、いきなり襲った北海道の地震の被害の大きさに心が痛みます。

なお、今日は午前中に登庁して、健康福祉委員会(14日=金)の議論に備えて市当局と協議。決算委員会市民人権分科会(11日=火)での分科会外委員質問も通告しました。

また、夜は事務所で法律相談。2人の相談者が来訪されました。

2018.9.6
22.7℃〜32.3℃。北海道で震度7の激震。台風21号とのダブル被害が。

大綱質疑3日目の本会議は、大阪維新の会の議員1人が体調不良で質問を取りやめたこともあって、5時過ぎに終わりました。
写真(堺市広報課提供)でお分かりのように、答弁に立つ市長ら理事者側は全員が災害対策服を着用。また、昨日は上下水道管理者の出席を免除し、危機管理監の出席も必要なときだけとするなどの配慮はしました。

●恐れていた市民からの『批判』
しかし、今日午前中に市民から痛烈な抗議電話があったそうで、応対した議会事務局から会議中にそのメモがまわってきました。以下は、その要約です。

「まだ、多くの家庭で停電しているのに、市はどの地域が停電かさえ把握していない。近くのスーパーも被災して営業しておらず、高齢者の多い地域で600世帯もの買い物難民が発生している。しかし、区役所はその現状を把握していない。なのに、議会が開催されて、局長・部長以下200人も300人もの職員を拘束し、市民のために動くマンパワーを奪っているのではないか。電灯やテレビもつかない多くの地域がある中で、議会を開催すべきではない。こんな議会は市民の代表ではない。議会に乗り込んででも開会を阻止したい思いだ。この緊急時に、議会のために職員を拘束すべきではなく、1週間は議会を止めるべきだ」

●会議中にも、停電家庭から『SOS』
また私には、本会議中に事務所から緊急メールが届きました。我が家の停電は昨日夜半過ぎに復旧したのに、同じ町内のうちの一部は未だに未復旧とのこと。「せめて、見込み時間を教えてほしい」との電話をいただいたそうです。
休憩時間に危機管理室を通じて関電に連絡してもらったものの、回答は得られません。何とか4時過ぎには復旧したようですが、3日に及ぶ停電がどれほど大変だったか、12時間の体験から、その不便さと苦痛が推察できます。

●「7日は市長が出席できない」は、確認不十分の情報でした
昨日の議運で、日程変更や会期延長をすべきではないかと主張した際、議運委員長が「7日は一日、市長が出席できない」と言い、昨日・今日で本会議を終わらせるよう会議を導きました。
今日、秘書課長に「どのような日程があったのか」と確認したら、議会から問い合わせがあったのは台風来襲の前日で、「7日午後から大阪府庁で世界遺産の会議がある」旨を伝えたとのこと。これほどの被害が発生し、「もし議会から日程変更による出席要請があれば、それを優先させるのは当然で、会議の開催調整やそれが叶わない場合には代理出席を模索することができた」とも答えました。
議運の席で、再確認を迫るべきでした。今なお、被害回復が遅れている被災者の方々に申し訳ない思いでいっぱいです。

2018.9.5
24.7℃〜31.9℃。また真夏日になった日中も、停電が続く地域があります。

早朝のうちに、お向かいの集合住宅付近に飛び散った葉っぱや、事務所裏の路地に散乱している木枝などを片付けました。

今日の会議は午後からに変更されましたが、情報収集のため10時半頃に登庁。市内にはまだ停電が続く地域があるとのこと。当該地域にある保育所では、冷蔵庫などが使えないため給食中止。また、エアコンが必要な乳幼児の保育も見合わせているのだそうです。
こんな状況で本会議を開くべきではないと判断し、1時からの議会運営委員会では会期や日程の変更ができないかと主張しました。

●災害対応を優先し、議会日程を変更すべきです
しかし、議運委員長は「7日は市長が出席できないなど」などの理由を挙げ、今日と明日中に本会議を終える旨を提案。やむなく受け入れましたが、本会議での発言冒頭に「近年まれな大きな災害の中、一刻を争うわけではないテーマで議論をするのは心苦しい」と、市民へのお詫びの気持ちを表しました。そして、「亡くなられた方を悼み、被災者の皆さんへのお見舞いを申し上げる」との気持ちを述べてから、質疑を始めました。

●初めて政令市開催となる来夏の自治体学校
まず、先日参加した自治体学会・青森大会の様子を紹介しながら、来年の開催を受け入れた経緯や、準備あたる竹山市長の基本方針を質しました。「物のはじまりゃなんでも堺♪」と堺音頭に唄われるものの中に、「政令市単独での初開催」を加える意義を確認。

●観光施策の基本戦略と町並み再生・西高野街道
続いての議論は、竹山市長が記者会見で「観光ビジター数1,000万人突破」と誇った観光政策です。8月8日の産経新聞夕刊が1面トップで「堺市と高野町・歴史的タッグ」と報じた記事を取り上げ、2年前に市長が「堺と高野山、2つの世界遺産を結ぶ街道」と語った「西高野街道」について触れられていないことを指摘。この間、古い道標(石碑)の復活や、道案内標識の整備、上下水道局による「お接待」なども実現したこと、さらに街道筋の町並み魅力も披露しました。
また、青森市の再開発の実状なども紹介しながら、堺市の観光基本戦略とされる「歴史・文化のまち」という視点から、「堺環濠都市北部町なみ再生協議会」の活動に言及。「市民との共同作業がよい結果を生んでいる」と評価しました。

●アスベスト資料をめぐる不透明対応
最後に、北部地域整備事務所のアスベスト除去工事の際、アスベスト繊維が「3.1本」検出されたとする測定結果報告の積極的公開を渋った市当局の対応について議論。このことについては、「飛散の検証に関する懇話会」でも、委員から「リスク管理が甘すぎる」と指摘されています。無責任な煙突解体、都合の悪い指摘文書の隠匿、その上に繰り返される行政失態を検証するため、関係市民団体からは「第三者委員会の設置」が提案されています。「検討すべきではないか」と迫りました。

2018.9.4
私の実体験では、1950年のジェーン台風を思い起こさせる猛烈さでした。

お昼過ぎからの停電が約12時間続き、5日1時半頃に復旧。この日記を書き始めました。

●堺市内の被害状況
堺市危機管理室からの報告(21時15分現在)によると、死亡1名(住宅2階ベランダから転落)、重傷1名(門扉下敷き)、市立高校体育館屋根ほか市内全域での家屋等屋根被害(約30件)、トラック横転、電柱倒壊(5本)、倒木など多数(約110件)などの被害状況。また、大規模停電(堺区・西区)、中規模停電(中区・東区・南区・北区)も発生とのこと。
もっとも、危機管理室に届いていない被害もありそうで、さらに拡大するでしょう。

●我が家周辺でも倒木・屋根損傷
少し風が弱まった午後2時50分ごろ、自宅周辺の被害状況を観察。まず、隣家の庭の木が我が家倉庫の屋根に横たわっていました。ご近所の屋根瓦や樋が飛び散って、道路に散乱。
完全に強風が治まった5時過ぎの観察では、近隣キリン公園の八重桜が根こそぎ倒れて道路を塞ぎ、別の桜も大きな枝が折れていました。また、金岡東第3公園(新金岡町4丁)付近での街路樹が幹の途中から折れ、公園内の樹木の傷みも激しい様子。府営住宅の建て替え工事現場は、倒壊した塀を撤去中でした。
被害は南からの強風によるものでしたが、東南の空に、まさに台風一過を象徴するような虹が架かっていました。

●ご心配いただき、申し訳ありません。
まだ被害の全貌は分かりませんが、亡くなられた方へのお悔やみと、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。私にも、全国各地からご心配のメールが届いています。幸い、小被害でした。停電で電話機やパソコンが使えず、ご報告とお礼が遅くなり、申し訳ありません。

●5日の本会議は午後1時半から
なお、市幹部が被害対応に追われていることもあって、5日は午後1時から議会運営委員会、本会議は1時半に開会することになりました。私の登壇は、4時以後になりそうです。ただし、さらに被害拡大がみられれば、変更されるかもしれません。

2018.9.3
24.0℃〜33.1℃。台風21号が、明日やって来そうです。ご用心ください。

大綱質疑の初日です。維新、公明、自民、ソレイユ堺が「代表質問」。続いて、維新、公明、自民の各議員の「その他大綱質疑」が行われました。なお、台風接近に伴い、明日の本会議は明後日に順延。私の発言は、5日(水)の午後となりました。

2018.9.2
24.2℃〜32.2℃。昨夜は、外気(自然のクーラー)で気持ちよく眠れました。

一昨年11月の沖縄訪問の折、南部戦跡などを案内して下さった崎山正美さん(元・糸満市企画課参事)が、最近送ってくださったエッセー「旧暦耳学問」に掲載された写真は、 辺野古のキャンプシュワーブワーブ前の座り込み現場に掲げられた翁長雄志さんを偲ぶ横断幕です。

「負きてぇないびらんどー〜翁長知事の遺言〜」と題するこのエッセーで、崎山さんは書いています。「(翁長さんは)那覇市長時代から自民党でありながらも辺野古新基地建設には一貫して反対してきた。4年前に新基地を受け入れた仲井眞前知事に対抗して知事選に出馬し、沖縄の選挙史上未曽有の圧倒的票差で当選した。その後の翁長さんは日本政府との闘いの日々であった。翁長さんは、政府の手続き論に対して見事な言葉でその不条理さを突き、また県民には奮起を呼び掛けてきた。4年前の知事選での言葉は『イディオロギーよりもアイデンティーを』であった。この言葉は保革を問わず多くの沖縄県民の心に響いた」。

一昨年、2度にわたる訪沖の際、毎回、翁長さんの講演を聴く機会がありましたが、沖縄の歴史と在日米軍基地の7割が同県に押しつけられている現状を語るその言葉は、極めて論理的で説得性の高いものでした。その翁長さんが亡くなられ、13日に知事選が公示されます。

崎山さんは、「県民集会で何度も聴いた翁長さんの『うちなーんちゅ、うしぇてーなびらんどー(沖縄の人を馬鹿にしてはいけませんよ)』、『ちばらなやーさい(頑張りましょうね)』という生の声音が今でも私の耳奥に残っている。翁長さんの死後、辺野古の座り込み現場に掲げられた翁長さんを偲ぶ横断幕には、多くの人の寄せ書きがある。それは翁長さんの勇気と固い意志への敬意と感謝であり、そんな指導者をもったことへの我々の誇りと彼の意志を引き継ぐことへの決意である」と、今回のエッセーを締めくくっています。

2018.9.1
25.7℃〜29.6℃。未明に雷雨、日中も時折の雨が断続的に降りました。

秋雨前線の南下で、朝方に激しい雨。雷鳴もとどろいて、短時間ですが停電もありました。一時は大雨警報も出たのですが、小康状態になってから、酷暑に参っている花鉢を日陰に移し、元気のよいものを並べてみました。

午後、これまでも様々な住民運動にかかわってきた堺区のTさんが久しぶりに来訪。2時間あまり意見交換しました。このところ家業が忙しかったようですが、また、何かに興味をもって活動されることを期待したいところです。

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