ずっと以前、鉢ヶ峰公園墓地の一区画の抽選に当たりました。以後ずっと放置したままでしたが、夕方から雑草整理に出かけました。めったに行かないので、場所を探すのに一苦労です。
朝のうちに、大阪市内の阿倍野墓地にある父方親族のお墓参り。姓が異なるこのお墓の管理を亡母から引き継ぎましたが、周りで空き区画が増えています。年々、無縁になるお墓が多いからかもしれません。
新しい議員任期になって発足した「世界遺産と魅力的なまちづくり調査特別委員会」のメンバーで、代表的な古墳の視察に出かけました。最初はJR百舌鳥駅にいちばん近い収塚古墳。現状では円墳に見えますが、発掘調査の結果、大仙古墳の倍塚に多い帆立貝型の前方後円墳でした。周辺改修の際、前方部のあった位置を色の異なるインターロッキングで復元しています。
その後、大仙古墳、博物館の展示、イタスケ古墳を見て、羽曳野市の誉他御廟山古墳へ。
藤井寺市の古室山古墳では後円部の頂に登り、またすぐ側の高速道路下で復元された赤面山古墳も見ました。この古墳は世界遺産登録の対象から外されましたが、道路工事での配慮などがイコモスの評価に影響した可能性もあるとか。また、古市古墳群の倍塚には方墳が多いようですが、その理由などはまだ未解明だそうです。
ところで、大仙古墳訪問の際、宮内庁側の配慮で「遙拝」が準備されていました。一般には入れない「遙拝所」内に入っての「遙拝」ですが、私は遠慮しました。そもそもこの古墳が仁徳天皇陵であることには考古学者の多くが異論を唱えています。また、仮にいずれかの天皇陵であったとしても、「遙拝」という行為が戦時中の「宮城遙拝」(天皇へ忠誠を誓わせて日本国民の戦意高揚を図る目的)を思い起こさせるからです。
さて、今日は「長崎原爆の日」です。原爆投下の11時12分は古墳群視察中で黙祷はできませんでしたが、広島同様に核爆弾の被害にあった方々の苦しみに思いを馳せました。
平和記念式典では、田上市長が「日本はいま、核兵器禁止条約に背を向けている。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください」と訴えたようです。しかし、この式典にも出席していた安倍首相は、広島での平和式典と同様に同条約のことに触れなかったとか。被爆国の首相が、被爆者の思いに耳を傾けないという悲しむべき現実です。
今年は、お盆期間に百条委員会や8月定例会の議案説明の予定が入っています。このため、少し早めですが明石市のお寺にあるお墓参りを済ませました。往き帰りとも、事故や交通集中で高速道路は大渋滞。通常よりも1時間半〜2時間、余計に時間を要しました。
もっとも、1週間前に納車された車のツーリングアシスト(運転支援装置)を確かめる絶好の機会でした。追随走行=アクセルやブレーキを使わずに前車の速度に合わせて走行・停止。車線中央維持=車道両側の白線を認識してレーンキープ(危険防止のためハンドルに手を添えています)。確かに、渋滞でも運転の疲れを感じません。
所用があって、健康福祉プラザを訪ねました。きっと昨年の今頃だったのでしょうが、体育施設を利用していた障害者の方が職員に教えられた公衆電話の場所を探し当てることができませんでした。このため炎天下を自宅に帰るはめになり、熱中症にかかったとの苦情が届きました。
調べてみると、職員が教えた公衆電話の一つは他施設の屋内にあって分かりづらく、またもう一つはすでに撤去されていたのです。9月の健康福祉委員会で指摘したら、プラザ館内に私設公衆電話が設置され、今日、1階の玄関付近で実際に確認することができました。
8時15分、テレビの前で黙祷。広島市長が「平和宣言」で読み上げた被爆者の短歌に、あらためて衝撃を受けました。
「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」
当時5歳だった女性の歌だそうです。この歌に続いて松井市長は、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性の話を披露。
そして、「生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか」と、会場をもとより世界中の人々に語りかけました。
また、式典に出席している安倍首相を前にして、「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」と求めました。
しかし、その後に挨拶に立った安倍首相は、条約批准にはひとことも言及しませんでした。広島市長が「世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい」と訴えたにもかかわらず、日本政府はこれを無視。
沖縄での基地建設と同様に、安倍さんにとっては「平和」や「寄り添う」は、まったく心にもないお題目にすぎないようです。
▼写真は広島市HPより
「議員活動報告の配布はまだですか?」。いつも地域配布を担当して下さっているMさんから電話をいただきました。例年なら、5月定例会の報告をまとめて配布していただいている時期ですが、以前にも書いたように今年は市長選のために大綱質疑や常任委員会での審議が省略されたため、発行しませんでした。また、この暑さの中で配っていただく皆さんのことも考え、発行時期を検討してみようと思っていたことも関係しています。8月定例会後の10月にはお届けするつもりですが、同様に極寒時期での発行も再検討してみるべきかと考えています。
今日は午後から登庁して観光部を訪問。先般の遊覧ヘリコプターに関する事業者からの報告書の提供を求めました。実際の飛行コースなども示されていますが、私が現地調査に赴いたイタスケ古墳付近で折り返し旋回していた模様です。騒音も集中したことでしょう。
昨日、フェニーチェ堺の見学会から戻ってから、暑さを避けて少々のんびりさせていただきました。午後、NHKドラマの再放送「凪の街桜の国」を観て、夜はアニメ映画「この世界の片隅に」を鑑賞。いずれも、間もなく訪れる「8月6日」を題材しています。ひと月前に戦跡を訪ねた沖縄戦、それに広島・長崎の原爆被爆は、それぞれの地の人々の命を奪い、怒りと悲しみを押しつけました。暑い夏、もっともっと熱かったであろう犠牲者や被害者の皆さんに心を寄せたいと思います。また、この手の放送ではNHKの優れた仕事ぶりを感じます。ちなみに、受信料は払っています。
ところで今日も、昨日に引き続いて猛暑から避難。訪ねて来た娘夫婦や息子夫婦とホームパーティを楽しみました。
10月1日にグランドオープンを予定している「フェニーチェ堺」の特別バックステージツアーが開催されたので、見学に赴きました。
大ホールで各種の舞台装置を使ったデモンストレーションを見た後、楽屋から舞台へ。そのまま舞台を下げて奈落も見せてもらいました。
確かに、この地にあった前身の市民会館とは異なる豪華な芸術ホールです。オープン後の主催公演の人気ぶりを尋ねたところ、「辻井伸行・ショパンの世界」(11月16日)はすでにチケット完売だそうです。
なお、一般体験ツアーも実施しています。
※こちら https://www.fenice-sacay.jp/event/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E5%A0%BA%E3%80%80%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80/
車の乗り換えに当たって丁寧に助言してくれた友人(自動車評論家の津々見友彦さん)にお礼のメールを送ったら、早速、運転支援機能の扱いについてさらなる助言が届きました。
レーダークルーズ(RC)ですが、最初は怖いかもしれません。徐々に慣れて下さい。人間の感覚と同様なことはまだ出来ません。例えば、遠くの信号が赤で、その後にクルマが停止しているとき、人間なら遠くからアクセルを抜くのですが、RCはクルマを認識する約200m手前になって初めて気が付きます。なので、最初のころ、そんなときには軽くブレーキでRCをキャンセルすると当然スピードは落ちますので不安なく停止しているクルマに近づけます。
ただし、キャンセルされているのでクルマは自動ブレーキは掛けませんから、自分でブレーキして下さい。慣れてくるとクルマに任せて自動ブレーキしてもらえると良いと思います。
要するにRCが得意な場面ではRCに任せ、人間が得意の場面は自分でやる。と、言う感じですね。RCをブレーキで解除したら、その後、リジューム(RCの復帰操作)しないと普通の距離でのブレーキはしませんから、下手すると追突に近い接近をすることがあります。(緊急の自動ブレーキは勿論効きますが、急ブレーキで、場合によれば軽い接触をする可能性もあります。)