午前中に、会派代表者会議。また、午後1時から、8月定例会の初日本会議が開かれました。本会議では、まず市長から決算認定を求める提案があり、続いて各種の条例改正案や補正予算案の提案理由説明がありました。
PFI(民間資金とノウハウを活用)手法での再整備事業が完了した南区の原山公園を視察。
本来7月に開園する予定が、新型コロナ感染拡大に配慮して遅れ、9月1日となりました。
子どもたちが喜びそうな屋外プール施設が今夏は使えず残念ですが、8月23日(日)と29日(土)、小学生対象のプレイベントで施設開放を行うそうです。参加者は抽選済み。
朝の水やりをしていると、ただ一つ大きく育ったイチジクの実にアリが群がっていました。水で洗い落として収穫。このイチジクの苗も何年か前の緑化祭で購入したものですが、2本のうち1本は枯らしてしまいました。また、手入れが悪いため、例年、実が付いても熟す前に落ちてしまっていました。ところが、今年はかろうじて数個が残り、この実がいちばん大きくなったものです。私はあまり好物ではないので妻が食したところ、「木で完熟したイチジクがこんなに美味しいのか」と感激していました。
さて、今日は午前中に議会運営委員会と議会力向上会議が開かれました。新型コロナ感染防止のため、本会議場の各議席の間に仕切り板を設置することを決定。大綱質疑までには工事が終わる見込みです。また、8月定例会の発言時間を通常の3分の2とすることも決めました。
先日、郵送した「議員活動報告」が届いたようで、各方面から返信や感想が寄せられています。
大阪市阿倍野区のNさんは、コロナ終息を願う絵とともに、「最も興味を引いたのは日本語教育」と書き添えて下さいました。かつてボランティアで携われたそうです。俳句や川柳をお送りいただいた方もあって、本当に多様な方々が活動への興味を持って下さっています。
また、わざわざ電話をいただいた某紙の元記者は、「相変わらず、長谷川議員一人に各党がよってたかって抗っている様子に、日本中の市民が溜飲を下げるのでは」と語り、堺支局に赴任していた頃の取材体験を懐かしんでおられました。往事を思わせる苦みの効いたコメントですが、もうすでに何年も前に退職され、郷里で地域活動に取り組まれているとのことでした。
さて、堺市議会では21日から始まる8月定例会のために、明日、議会運営委員会が開かれます。感染拡大を防止するための本会議場改造や、発言時間の短縮なども協議予定です。
▼Nさんの絵/背景に描かれた薄青がスキャンできていないのが残念です(画像クリック→拡大)
一昨日の日記にも掲載した冊子『平和いのち』は、1986年8月に堺市人権啓発局(当時)が発行したもの。「堺戦災関係資料集」の副題が付いています。
あたらためて開いてみると、堺市は5次にわたって空襲を受け、7月10日の第4次が最も大きな被害を受けています。死者1860人、重傷者223人、軽傷者749で、合計2832人が身体生命の被害を受けたこと。全焼1万8009戸、半焼437戸、被災人口7万人と記録されていますが、混乱状況の中で完全な数の把握は困難だったのでしょう。
なお、この冊子には、「五次にわたる空襲は堺市とその市民の生活を完全な破滅状態におとしいれた」、「こうなっても軍部は、なおも『国体維持』『一億玉砕』を叫んで絶望的な抗戦に国民を動員しようとした」と記されています。しかしその後、広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦で息の根を止められ、やっと「悪夢のような戦争は終わった」と、終戦に至る経緯も記述しています。
●特別定額給付金(1人10万円)の未申請者が6千人以上も
コロナ対策のため国民1人に10万円を支給する制度の実務は、各市町村が担っています。堺市の場合、8月31日が申請期限ですが、まだ申請していない人が6300人もいます。
そこで今日午後、問題意識を共有する渕上猛志・森田晃一両議員と共に「特別定額給付金室」を訪ね、未申請者への丁寧な案内を行うよう申し入れました。
その際、生活保護世帯でも500件の未申請があるとも聞き、驚きました。各区の担当相談員による訪問などの対応をするようですが、八尾市などでは未申請全世帯への訪問を行っています。
時間的にみて全世帯訪問の体制構築は困難だとしても、例えば簡易書留郵便での申請勧奨、受給資格のある外国人宛の封筒に各国語での注意喚起を行うなどの対策を提案しました。
昨日、明石空襲や堺空襲について日記に書いた後、NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を見ました。
空襲などで身体や財産に被害を受けた民間人への補償は、戦後75年を経っても実現していません。原爆被爆者、シベリヤ抑留者、中国残留孤児などの例外を除き、多くの被害者が見捨てられたままです。苦しみながら実現運動を続けてきた被害者の中には、自ら命を断つ人もあったことが報じられていました。
欧米各国などでは、軍人・民間の隔てなく補償制度が確立されているのに、日本では軍人・軍属への補償が拡大する一方、政府も司法も民間人に対しては「受忍」を押しつけています。
最高裁も、「戦争損害は、他の種々の戦争損害と同様、多かれ少なかれ、国民のひとしく堪え忍ばなければならないやむを得ない犠牲だ」とした上、「憲法29条3項(私有財産への補償)の全く予想しないところで、同条項の適用の余地のない問題といわなけばならない」とし、被害国民の訴えを退けました。(1987年6月26日/名古屋空襲訴訟)
昨夜の放送では、元担当官僚が「日本国民のみんなが望んだ戦争だから」と語るシーンがあって、思わず「ウソをつけ!」とテレビに向かって叫んでしまいました。
ちなみに、日本の裁判所も立法措置による救済を促す判示をしており、国会の責任が問われるところです。
先日、明石市に墓参に行った際、帰り道で国道2号に面した生家の前を通りました。
明石の市街地が夜間空襲に遭ったのは、1945年7月7日。すでに3度目の空襲で、4歳だった私は山地にあるお寺に疎開し、疎開先から焼ける市街地を見ていた記憶がかすかにあります。
また、終戦で生家に戻ったとき、わずか100メートルほどのところで生家は延焼を免れていたこと、しかし、油脂焼夷弾(19本×2)を集束する弾頭(ノーズブロック)が生家の屋根を突き破って落ちており、これが本体だったら全焼していただろうなどとの家人の話も聞き覚えています。
小学校2年生まで暮らした生家はすでに建て替わっていますが、東隣の住宅は当時のままで残っています。
この家に住んでいたMさんは幼なじみの同級生で、小学校入学時、Mさんを含めて父親が戦死したクラスメイトが大勢居ました。
余談ながら、私たち家族が大阪に転居後もM家との交流は続き、学生時代に知り合った江田五月さん(元参院議長・法相)と夏休みに会談する場所として使わせていただいたこともあります。岡山に帰省中の江田さんと大阪に住む私が、「中間点で会おう」と勝手に決め、Mさんご一家には大変な迷惑をかけました。
ちなみに、ウエブサイト「都市空襲」によると、7月7日の明石空襲で投下された焼夷弾は975本。全半壊9179戸、罹災者3万6410人、死者362人、重軽傷者190人の被害が記録されています。
※都市空襲 https://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu.htm
また、同サイトには、明石空襲の3日後、7月10日の未明、「B29の編隊100数機が大阪湾から堺市街南西部に侵入、約一時間半にわたり油脂爆弾・黄燐焼夷弾を投下、大浜・龍神・宿院一帯が猛火に包まれ、市の中心部は一夜にして焼野原となった」と記されています。
そしてさらに、「当時、南海本線『堺駅』付近で交差していた阪堺軌道『龍神駅』のガード下では、猛火に逃げ場を失った地元住民と電車の乗客とでひしめき、そこへ炎と煙が風に煽られ煙突のように吹きぬけ一瞬にして300人以上の人が焼死した」と続き、堺空襲の死者・行方不明者約1860人、焼失家屋約1万9000戸と記録。
「戦争への道は、絶対に歩んではならない」と、改めて心しました。
午前中に登庁して、21日から始まる8月定例会の議案説明を受けました。この定例会では昨年度の決算審査が中心テーマですが、新型コロナウイルス対応の補正予選も提案されます。その内容は、コロナ患者受け入れ医療機関への協力金支給、保健所の体制強化などで、先の臨時会提案の補正予算に盛り込まれていないことし指摘したことが含まれています。予算額は決して十分とは思えませんが、市長も対応の必要性は認識しているようです。
なお、予算説明に続いて、上下水道局から同局の事業に関する「経営診断結果」についての報告を受けました。大学教員2人と公認会計士で構成する「堺市上下水道事業懇話会」が診断したもので、今日の説明に対してはいくつかの質問を投げかけています。
「議員活動報告」の発送作業のため、朝からボランティアの方々が来て下さいました。事務所の換気などに気を遣いましたが、お陰様で作業は午後2時に完了。ありがとうございました。
朝7時半に車で出発し、明石市のお寺にある長谷川家の墓へ。引き返して、大阪市内・阿倍野墓地の父方親族の墓へ。往路、神戸市内の事故渋滞を抜けるのに15分かかりましたが、毎年のこの時期がウソのようにスムーズな走行。午前中にお墓参りを終えることができました。
ところで、明石のお寺でお参り準備中、堺市の感染症対策課から電話があり、昨日のブログに書いた「5日〜10日の6日間に175人」の記述の誤りを指摘されました。
市長が会見で使ったグラフを見て、「8月4日までの感染は168人」と思い込んだのが原因です。これは6月16日以後の数字で、第1波(3月6日〜5月13日)の107人を加えると「275人」になり、それ以後10日までの増加は「68人」が正解でした。
事務所に戻ってすぐ、昨日の日記を書き改め、掲載していた「議会速報C」も差し替えました。ほんとに単純な思い違いで、恥ずかしい限りです。コロナ対応で超多忙にもかかわらず、ブログチッェクをしてくれた感染症対策課の職員の皆さんに感謝です。なお、昨日の予定だった「議会速報」の印刷作業は今日に遅らせていたので、助かりました。