長谷川俊英14年の市会議員活動(1ページ)
何が何でも「筋」通す…活動の基本スタイル
任期中の報酬アップに反対し、アップ分の受け取り拒否額は1000万円
朝日新聞(1989.3.31)のコラム「浮標(ブイ)」に、「自己に厳しく報酬倫理実践」との見出しで、次の記事が載っています。
 「私だって人間。そら、金は多い方がいい。だれでもいっしょ」。やせ我慢だと、長谷川俊英・堺市議はいった。四十七歳。当選三回、十年目。「非所属クラブ」を名乗る。一人一派である。
 堺市内の桃山学院大学職員から、クリーン政治を旗印に立った。日本で初の「倫理条例」誕生の担い手の一人。資産はすべて公開、それも、チラシにして毎月、駅前で配っている。
 はっきりいって、エエカッコシイに見える。露骨にそういう人もいる。この建前が、一千万円余りの損につながった。これまで四回の報酬アップ分を返上し続けている。二年先の現任期満了まで、期末手当も含めると単純計算で、その分は八百七十五万円をこす。金利を考えれば、すでに一千万円を突破している。もったいなくも思えよう。
 しかし、そうはいかぬというのだ。校長全員が、回数の差はあれ、加わっていたニセ出張問題や大企業の半世紀にわたる市道不正占拠…。皆、長谷川さんの調査と追及で解明された。厳しく自己を縛っているからこそ、と見える。
 「立候補者は、政治や地元を良くするためタダでも働く、といわんばかりに訴える。在任中に報酬を引き上げるなどとは言わない。すると当選時の金額が、任期中の報酬額のはず。値上げするなら公聴会を開き、市民の考えを十分聴き、わかってもらってからすべきだ」。これが長谷川さんの報酬倫理だ。
 堺市はことし、市制百周年。この間、市長が汚職で逮捕されたし、職員が何人も甘い汁を吸っていたのが判明した。議員の不正も発覚した。しかし、それでいいとはだれも思ってはいまい。
 堺は自由都市で知られる。自由は自治が生み出す。自治は人々の苦闘、克己の末に実現したと、歴史が教えている。
 やせ我慢、エエカッコ。リクルートで揺れる昨今、もう一度見直してみたい。             (天)
議員在任中、報酬のお手盛り引き上げに反対した理由と、アップ分の受け取りを拒否した事実は、上の記事に紹介してもらいました。実はこの記事掲載後にも引き上げがあって、返上の実額は988万円になりました。うち712万円は請求権を放棄したので、そのまま堺市の一般会計に戻りました。ところが、公選法の改定に伴って、1990年2月から受領拒否分が供託されるようになり、供託分の約286万円は、議員を辞めてから(在任中の寄付は公選法で禁止)堺市の福祉基金として寄付しました。(1997.3.27各紙)
いずれにせよ、「反対したからには受け取らない」ということは、議員としての主張と行動を一致させるなら当然の行為です。もし「反対」と言うだけでアップ分を受け取っていたら、「結局、市民向けのポーズだけ」と批判されるに違いありません。筋を通さない口先だけの行動は信用を失い、迫力を持ちません。“有言実行”こそ、議員の生命線だと心がけてきました。
また、供託分は10年経つと国のものとなるそうです。「だから、供託しないで、別に積み立てる」という主張もありますが、私はあまり賛成ではありません。その場合の使い道は、きっと同じような考えを持つ人には支持されるでしょう。しかし、例えば政党に所属する議員が「引き上げ分は党の利益に使って、自分の収入アップとはしない」という言い方と同じにならないでしょうか。また、いったい何年議員を務めるつもりか知りませんが、少なくとも10年間の供託分は、議員を辞めてから当該自治体に寄付することが可能です。それに、仮に国のお金になったとしても、それがどうしていけないのでしょうか。
大事なことは、「報酬アップを賄う市民の税金を私しせず、公に戻す」ということではないかと、私は思うのです。「いいことに使うから受け取る」というのだったら、報酬引き上げに賛成した議員たちも、きっと同じことを言うでしょう。もしも、有益な経費に充てるためにどうしても必要なアップだというのなら、いっそ、その理由を市民各層に示して納得してもらい、引き上げに賛成するほうがフェアーだと思います。
返上実額988万円。うち712万円は請求権放棄で一般会計に、
残り286万円は、議員を辞めてから福祉基金に寄付。
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