10月7日(火) 泉北ニュータウンでも、木々の色づきに秋を感じました。
「アクション日記」のはじまりへ
《2003.10.7〜10》
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※10月6日以前の日記は、前ページに掲載
泉北3駅の最後に、栂・美木多駅で街頭活動。この駅は通路が狭いせいか、いつも皆さんの目が親しげで、「ニュース・レター」を受け取って下さる方の数も多いようです。何人もの方々からお声をかけていただいたり、「ノドが枯れるでしょう…」とあめ玉の差し入れも頂戴しました。それに今朝は、和泉市にお住まいのKさんが数年ぶりに応援に駆けつけて下さって、元気が出ました。午前中はニュータウンを回って、午後、市役所へ。北海道でのタンク火災ニュースから気になっていた、臨海コンビナートの安全対策などについて調査にかかりました。明日の朝は、先日雨で中止した北花田駅での街頭活動を実施する予定です。
10月8日(水) 堺市南部丘陵近くの田圃では、もう稲刈りが始まっていました。
北花田駅前で街頭活動。いつものボランティア・メンバーのうちお二人が風邪を引かれ、今朝は少し手薄でしたが、何とか無事に終了しました。2日後に国会解散、28日総選挙公示という日程がほぼ公然化しているせいか、「また衆院選に出るのですか?」と問いかけて下さる方もあったとか…。友人・菅直人さんが代表となった民主党による政権交代の可能性に期待したいところです。ただ、大阪17区(堺市南部)の公認候補が核武装論さえ唱える西村眞悟氏となったり、先の9月議会で同党所属の堺市議たちが「イラク派兵反対意見書」を否決する立場にまわるなど、戸惑いをいっぱい覚えて悩んでいるのは、きっと私だけではありますまい。
街頭活動後、高齢世帯の問題を抱えるお宅をケア・マネージャーとともに訪問してご相談に乗り、午後は市民環境産業委員会のメンバーと一緒に酪農団地を視察。たまたま今日は、同団地への産廃不法投棄で起訴された安井前議員の論告求刑公判が開かれ、安井氏は保釈になったというニュースも入りました。少々くたびれましたが、今夜はこれから、自宅ベランダにて十三夜の“栗名月”を楽しみながら、息を抜きます。
10月9日(木) 常緑のソヨゴも、葉の入れ替えの時期を迎えました。
午前中、市役所で、田中丈悦議員と費用弁償廃止への取り組みについて協議。午後は、事務所に戻って仕事を片づけました。夜は、友人2家族の訪問を受け、2日続きの月見で十四夜の月を愛でることになりました。また、その最中に大阪市議の城谷たけおさんがやってきて、大阪市長選挙のことなどを話し合いました。城谷さんは、1971年生まれ。私とはちょうど30歳の年齢差がある若者で、今年の市議選に「完全無所属」を掲げて挑み、当選。終末期を迎えた怪物のような「大阪市会」に1人で立ち向かっています。側で聞いていた友人たちには、24年前、堺市議に初当選したころの私を思い出させたようです。
10月10日(金) 今日は少し、暑さが戻りました。
所用があって大阪府選管へ。たまたま、「府議会テレビ傍聴室」という看板を掲げた部屋の前を通りかかったので、入ってみました。どうやら複数の委員会の中継がこの部屋のモニターに流れるようで、音は入口で貸与を受けた無線レシーバーで聴きます。しかし、開会していたのは「教育文化常任委員会」だけ。他のモニターには「休憩中」の表示が出ていました。比較的若い男女のグループ10人ほどが傍聴中で、府議会の委員会の傍聴はこのテレビによるしかないとのこと。モニターの映像は小さく、質疑のやりとりも事前調整文書の朗読で面白くありません。府庁に行く前、少し時間があったので、大阪市立美術館に立ち寄り、「応挙展」を見てきました。夕方、堺東駅前を通ったら、公明党が街宣中。側に民主党の宣伝カーも停まっていました。衆議院解散。ねじれはあっても、やはり政権交代に期待します。