3月21日(金) お彼岸の中日。やっぱり、ずいぶん春めいた一日となりました。
《2003.3.21〜25》
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※3月20日以前の日記は、前ページに掲載
「アクション日記」のはじまりへ
午前中、泉北ニュータウンをまわって事務所へ。午後からは来客が多く、応接に追われましたが、少しずつ皆さんのご支援の輪が広がっているようです。お墓参りに誘うことを期待していた母には、ご機嫌伺いの電話で、許しを乞いました。
3月22日(土) 天気予報がはずれて、一日雨。白モクレンの開花が見られました。
雨のため、来客応接など、事務所での仕事をこなしました。その間に、一昨日の美原町議会での前代未聞のドタバタ劇をめぐる相談を、住民の方から受けました。総務省職員が「これまでに例をみない」とあきれるほどの採決をしてしまう議員たちの「無知」(もしくは「無恥」)ぶりは驚くばかり。それに、そのことを指摘して愚かな過ちを回避するようにし向ける事務局の能力も、また「?」です。堺市との合併が実現すると、これらの議員全員が選挙を経ずに「堺市議」となります。報酬は40万円(月額)から78万円に跳ね上がり、併せて1人30万円(月額)の政務調査費も支払われるのです。もちろん「1人100万円の海外旅行」の恩典も同待遇。合併推進派議員の本音は、もしかしたら、その期待感かもしれませんね。
3月23日(日) 春の陽気を感じる一日。あちこちで桃の開花を見ました。
福田地区のAさん宅でホームミーティング。何年か前、家具工場の排煙をめぐる公害問題についてご相談を受けたのが縁で、顔なじみになった方々などが集まって下さいました。午後、新金岡団地周辺をまわろうと思っていたのですが、来月3歳になるMちゃん(お母さんとお祖父さん同行)、もうすぐ2歳のTちゃん(父母同行)らが次々に事務所に来てくれて、出発が遅れました。それに、帰宅すると、しばらく顔を見なかった孫の一樹くん(3歳)も来ていて、久しぶりにお風呂に入りました。この子たちの未来に戦争があってはならないのは当然ですが、イラクでは同じ子どもたちが爆撃に怯えているだろうと思うと、いたたまれない気持ちです。
3月24日(月) 夜明けが早くなりました。午後から雨です。
今日から、泉北ニュータウンでの街頭活動で、まず光明池駅。和泉市議の金児和子さんが「ニュース・レター」の配布に加わってくれました。声をかけて下さる方が増えた反面、表情の険しさも感じられるのは、各陣営の街頭活動が激しくなって、一種の公害現象が起きているのではないかと心配です。このところ、地域配布のお申し出が増え、対応に追われています。
3月25日(火) 昨日来の雨が、昼前まで続き、また夕方に降る、不安定な天気です。
泉北の中心駅「泉ヶ丘」での街頭活動。今朝はいつもより30分ほど遅くまで演説や配布を行いました。これまでお顔を見なかった方々から声がかかり、ラッシュのピークを過ぎてから「ニュース・レター」の受け取りが格段によくなったような気がします。
ところで今日は、堺市議会と美原町議会で、いずれも最終本会議を開会。堺市議会は来年度当初予算を原案どおり可決し、美原町議会は住民投票条例を賛成6、反対10で否決しました。いずれも市民感覚を忘れた結末で、これからのたたかいの目標が定まりました。