1974年の参議院選挙で、「市川房枝さんを勝手にかつぎだす会」の運動を成功させた菅直人さん(当時28歳)がわが家を訪ねて来たのは、翌年の5月だったと記憶しています。2日ほど泊まってもらって、「市民の政治参加」をテーマとする議論を交わしました。79年に私は堺市議となり、菅さんは3度の落選を経て80年の衆院選に初当選。
初めて出会ってから35年間の親交を重ねてきた菅さんが、今日、総理大臣になりました。普通のサラリーマン家庭に育ち、自民党に席を置いたこともない、市民活動出身の首相が日本で初めて誕生したのです。とは言え、政権獲得後8か月、支持率を下げ続けた鳩山さんの後を受け、「二重権力」と批判される小沢さんの隠然たる力と闘いながらの政権運営は、生やさしいものではないでしょう。取材を受けた記者には、「市民政治という原点を忘れずにやってほしい」と語りました。今回の駅前議会報告では、何人もの方々から「民主党は許されへん!」と言われています。“政権交代”への失望感修復を、菅さんに期待します。
▲左写真=「婦選会館」で行われた市川房枝さんのお別れ会(1981.2.13)の後…。菅さん34歳、長谷川39歳。
▲右写真=朝日新聞主催・団塊シンポジウム(2006.12.9)の前夜、堺市内で歓談。菅さん60歳、長谷川65歳
●本会議でも、菅さんの総理大臣就任に言及
さて、今日の私の大綱質疑は、結局、午後1時から始まりました。昼休みに新聞取材があり、お応えしながら弁当をかき込んで議場へ。質問に先立って、「間もなく、菅直人総理大臣が誕生する事態は個人的にも感慨深い」と述べました。そして、鳩山前首相が言葉の裏切りによって辞任を余儀なくされたように、竹山市長の公約違反も追及されるべきことを指摘しました。
●「大阪維新の会」や「大阪都構想」をめぐる議論も…
さらに、竹山市長が大阪市福島区の市議補選を戦う「大阪維新の会」候補の応援に行ったことも質しました。市長の弁明によれば、応援回数は2回。「知事への信義に基づいて」の行動だったそうです。「他の政党候補の当選は望まなかったのか」と追い討ちをかけたら、逃げの一手。来春の堺市議選では「全部の議員を応援する」とおっしゃるので、「私はご辞退する」と表明しておきました。また、橋下知事の「大阪都構想」にしろ、竹山市長の「堺都市州」にしろ、その制度設計などを示すことなく、「構想」だけを発信することは無責任だと批判。地方分権という観点からは、「住民参加」を保障・拡大する改革こそが大切だと主張しました。