※7月31日以前の日記は、前ページに掲載

8月1日(日)朝の散歩時は雲に隠れていた太陽ですが、その後は元気いっぱいです。

昨日立ち寄った書店で菅伸子さんの本を買い、就寝前に2時間ほどで読了しました。帯紙に「夫・菅直人を叱咤!」とあるのですが、中身は“市民運動出身首相”への応援歌です。
「私は、菅が総理大臣になったいまも、どうも実感がないというか、本当にこれでいいのだろうかという思いが、拭いきれません。『この人が総理大臣でよいのだろうか』と、よく知っているだけに思ってしまう。でも、いまは政界全体が昔と比べると小粒な人物が多いので、そのなかから選ぶとこうなるのかもしれません」
実に率直に夫への評価を書き、「総理の社宅」(公邸)への引っ越しも、ほんの身の回りのものを持って行くだけだったそうです。
「実際、七月の参議院選挙の結果、あるいは九月の民主党の代表選挙の結果次第では、すぐ出ていくことになるので、衣類も持ち込んだのは九月までの夏物だけです」

8月2日(月)今日も昨日同様に早朝は曇り空、そして一挙に厳しい日差しとなりました。

今朝は、中百舌鳥駅の南側で議会報告。しばらくマイクを使わずに「議員活動報告」をお渡ししていると、若い男性から「市長を早くやめさせて下さい」と声がかかりました。「どうしてですか?」と問い返したら、「知事の応援で当選できたのに、情実人事をするなんて、けしからん!」。以前の「活動報告」もよく読んで下さっているようです。
駅前議会報告を終え、事務所で一仕事を済ませた後、母の特養へ。今夜は市政・法律相談があるので、昼食に付き添うことにしました。「誕生日は?」と話しかけると、「明治43年8月22日」だと間違えずに答えてくれました。「100歳の誕生日まであと20日ですよ」と言葉を継いだら、「それまではがんばらんとなあ」と、とてもうれしそうでした。
●ご近所のDさんからいただいたパイナップルリリーも、見事に咲いてくれています。

結婚当初から市民運動に打ち込む夫を見守り、ときには自らも活動に参加してきた伸子さんは、直人さんの最も身近な同志であるに違いありません。30数年、菅さんの活動ぶりを少し離れて拝見し、ときには行動を共にしてきた私の立場からみると、伸子さんが書いている菅直人像や菅さんの政治への思いは、ほとんど同感できるものです。
「『私を納得させられない政策は、有権者も理解しないわよ』と、私はよく言います。有権者のみなさんに代わって、私が菅に代表質問させていただいているわけです」
参院選の敗北で党内事情も厳しくなり、このところ顔つきの冴えが多少薄らいでいるのが気になる菅さんですが、手厳しい同志妻が「もういいわよ!」と判定するまでは、その応援歌で難局を切り抜けてほしいものです。
昨夜、私がこの本を読んでいる側でNHKテレビ「今夜も生でさだまさし…北の国から2010旭川)を見ていたわが家の“糟糠”のご意見番が、さだまさしさんが「なるほど」と思えることを言ったと教えてくれました。「4年に4回も首相が代わる国はおかしい。日本人は堪え性がない。あなたが町内会長になったとしたら1年で色々なことを変えられますか」
伸子さんは、「菅に世間の空気を送り込み、裸の王様にしないのが私の役目のひとつでしょうか。これからも日本一うるさい有権者であり続けたいと思います」と、あとがきに記しています。
さて今日は、昼食時と夕食時の母に付き添いました。そして、その間に、暑さのせいかダウンした冷蔵庫の買い換えに備えてスペースを作るため、事務所の整理に当たりました。

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《2010.8.1〜2》