「今年2月発行の『清水谷高校PTAだより』に俊英さんのことが載っているので驚いた…」と、届けてくださった方がありました。お孫さんが、いま通学中なのだそうです。清水谷高校が創立110周年を迎え、「本校百十年のあゆみ」という特集欄に1959年の出来事として紹介されています。「全国優勝」という“戦績”が過大評価されたようですが、実は、このころ各地で「全国大会」と称する催しがあって、私が出場したのは兵庫県立三原高校主催の大会でした。
9月23日(金)秋分の日。古来からの慣用句どおり、先日までの猛暑を忘れそうです。
「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」。まさに論語の一節どおり、心の安まる一日でした。高校時代以来の友人Oさんの来訪を受けて歓談。お互いに「この前会ったのはいつだったか?」と思い出せないほど久しぶりの再会です。おそらく40年以上、顔を合わせて話しを交わしたことがなかったのではないでしょうか。
半世紀前、私たちは、高校弁論部のライバルでした。私は府立清水谷高校の弁論部に所属し、Oさんは名門八尾高校の弁論部でした。この2人に、三国丘高校のHさん(和泉市在住)を加えた自称「府立校三羽烏」は、各地の弁論大会で競い合っていました。また、折に触れて相互批評しながら錬磨しあう仲良しでした。
9月24日(土)朝方は「寒さ」を感じるほどで、今日から長袖シャツを着用しました。
関西大学に進んだOさんは、卒業後ずっと教職にあった人で、府立高校の校長も務め、現在は母校の非常勤講師などをされています。現職教員のころは立場を自覚して控えていたようですが、定年退職後は私の選挙を気遣い、様々な応援をしてくれています。そして、住まいのある奈良県の自治体で「まちづくり基本条例策定委員会」の委員に就任し、私から参考意見を聞きたい…と、訪ねて来てくれたのです。もっとも、Oさんはすでに「住民参加型議会」「子ども参加型議会」など興味深い発想を持っていました。各地の事例など、私の知る限りの情報を伝えましたが、きっとすばらしい「まちづくり基本条例」が作られるのではないでしょうか。この分野で遅れている堺市議会の改革も急がなければなりません。(写真はOさんが今月初めに送ってくれたものです)
昨日、数十年ぶりの再会を果たしたOさんの八尾高校でも、新制高校の発足時(1948年)から「全国(初年度は関西)優勝弁論大会」(1968年まで20回)を開いていました。要するに出場招待校の範囲を冠する大会が、あちこちで開催されていたのです。なお、上の写真は卒業アルバムに「弁論部」として掲載されているもので、「総理大臣旗」も写っています。同学年の部員は2人でしたが、2年上級に東大阪市議だった久保武彦さん、1年上には守口市議だった山下圭二さん、そして2年下には高槻市議から大阪府議になり、テレビなどで活躍中の山本健治さんが在籍していました。国会議員として「がん対策基本法」の制定に尽力した故・山本孝史さんも清水谷高校の卒業生(1968年)ですが、高校時代に面識はありませんでした。