《2012.5.22〜23》
(1108)
※5月21日以前の日記は、前ページに掲載

昨日の議員総会で、各地議員の飲酒運転事件とその結末の一覧を示す前に、私が西井勝議員に紹介したのは、以前、この日記にも書いたことがある市民の方のブログです。
「今年のお正月、うちに来た中区の親戚が、ふと『西井のおっちゃん、もうあかんな〜』というので、びっくりして『知ってるの!?』と言うと、『うん、近所のおっちゃん』と言います。今、『飲酒ひき逃げ』事件で話題の維新の会の西井議員は、地域で子供会の世話等をされていたようで、地元では広く地域に親しまれているようです」
「西井のおっちゃん」と題したこのブログにこそ、西井議員が「やり残した仕事」だと思わなければいけないほんとうのテーマがあるのではないか…と、私は質したかったのです。仕事の第一は、西井議員が世話をした子どもたちのモデルになれる姿を見せること。第二は、親しんでいる地元の人たちに「きちんと責任をとれる議員です」という生き様を示すこと。この2つこそ、今、議員としてしなければならない仕事だとは思わないか…と、私は西井議員に問いかけました。

月23日(水)今日は快晴で26℃。午後、出かけるときは半袖シャツに着替えました。

一昨日の本会議で議長が「辞職」。今日「辞職予定」の副議長と併せて、会派間の折衝が行われてきました。その結果、10時から開かれた本会議では、公明党=議長、ソレイユ堺=副議長が誕生。その他の議会役職の協議は、明日午後ということになりました。

●「もう少し、時間をいただきたい」と、したたかな西井議員
これに対して西井議員は、「先ほどから申しているように、気が動転しているので、もう少し時間だけいただきたい」と答えました。また、「辞職勧告決議を受けて、議員を辞めなければならないかも考えている。しかし、今は続けたいという気持ちだ」とも言いました。
私は、「最後にもうひとつ」と指を立て、「市民にも説明してほしい」という陳情が出ているが、応じるか?…と尋ねましたが、これへの答弁も「いちどもう少し考えさせてくれ」。
●初当選時、西井議員の妻さんが述べたお礼のことば…
そこで私は、ご当人から何度も聞いたエピソードを披露しました。2003年の市議選に初当選した西井議員の得票数は3014。「これからは、3014人の皆さんの目で西井を監視してもらいます」と妻が言った…と西井議員はしばしば話していました。「今、堺市の有権者の大半が西井議員の動向を注視している。西井さん自身の子や孫もきっと事態を案じている。時間は差し上げるが、決断が遅くなるほど惨めさが増す」と、私は発言をしめくくりました。
※この発言の録画は、24日(木)朝、市議会ホームページ「インターネット中継」にアップロードされる予定です。
●本会議冒頭での「辞職勧告」…維新の会は提案議員を拒否
ともあれ、議員総会での西井議員の答弁は他の議員を納得させるものではありませんでした。そこで、終了後に開かれた議会運営委員会では、引き続いて開会する本会議の冒頭に再度の辞職勧告を行う旨を決定。また、辞職勧告決議は全会一致で可決されましたが、大阪維新の会堺市議団だけは決議案の提案者になりませんでした。同議員団に所属するある議員のブログに、「議員の出所進退は第一義的に本人の判断」と書かれているそうですが、適切な判断をできなくなっている仲間議員への対処としていかがなものでしょうか。
西井議員の逮捕直後、橋下代表が強い調子で「辞職を勧告する」と表明したのに、堺市議団は元同志に対する辞職勧告を市議会に提案をしなかった(1回目も同じ)のです。11月議会に提案した「職員基本条例」や「教育基本条例」には、飲酒運転した職員や教員への厳罰(免職など)条項がありました。他人や職員に厳しく、仲間には甘い…まさに維新の会の「ダブルスタンダード」(ご都合主義の二重基準)が、今日の事態を生んでいるとも見えます。

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月22日(火)先日、妻の実家の裏庭から持ち帰った花が、うつむき加減に咲きました。