3月6日(水)暖かくなって昼間は15℃。しかし、朝は1℃。陽が落ちてからも寒いです。
3月5日(火)気温は、少し上がって12℃。啓蟄らしく、春の兆しを感じられます。
文教委員会は質疑が活発で、予算委員会文教分科会には入らずに終了。従って私の発言は、明日になりました。分科会での発言予定者も多いようですから、午後になると思われます。今日は、朝から登庁して、文教委の委員外議員席や議員控室モニターで議論を傍聴。また、明後日の健康福祉委員会に向け、関係部課と協議しました。
●23年前、大浜中学校の体罰事件でも同じことを指摘
「体罰が起これば即刻市教委に報告せよ」との校長への指示は、実は1985年に出されました。また、私はたびたび体罰をめぐる議論をしており、古い会議録を探したら、1990年の9月議会で取り上げた大浜中学の事件でも、11日の報告遅延を指摘しています。続く12月議会では陵南中学と上野芝中学での体罰事件を取り上げ、頻発する体罰に対する具体的な対応が必要だと迫ったところ、市教委は「体罰防止マニュアル」を作成すると答弁。全国でも初めてのマニュアルが1991年に完成しました。その後2回の改訂を経たのが現在のマニュアルです。
●「体罰防止マニュアル」ができたのに、殿馬場中、三原台中学校、原山台小で…
マニュアルが全校に配布され、教員に徹底したものと思っていたのに、翌92年前期に3件の体罰事件が発生。なかでも三原台中学では、同一教員による体罰が繰り返されました。7月に開会した臨時議会で私が指摘したところ、当時の教育長が「2度と起こさない」と決意を語って謝罪。しかし、その後も体罰は続いているのです。そして、事件を学校内だけにして外に出さないという体質が引き継がれ、報告の遅れも繰り返されています。それに、かつては学校名や加害教師名まで明らかにしていた報告書は、いつも間にかたくさんの黒塗りで覆われ、内容の把握も困難になっています。「改善すべきだ」と釘を刺しておきました。
余談ですが、議論が終わって退室すると、ソレイユ堺の小堀セイジ議員が待ち構えていて、「当時、三原台中の生徒でした」とのこと。生徒の間で、「市議会で誰かが、暴力教師のことを追及してくれた」と話題になっていたそうです。