4月25日(金)福島県内陸部は22℃というのに、いわき市は18℃。冬は雪がないとか。
目覚めて最初の驚きは、NHKのデータ放送で「各地の放射線量」が報じられていたこと。原発事故の被災地に来たことを実感しました。
8時すぎ、貸切タクシーで津波の爪跡が残る海浜部へ。海岸に近い住宅の土台部分だけが残る風景は衝撃的です。薄磯海岸にある豊間中学校の横で、通りかかった高齢男性にインタビュー。海岸に近い集落に260戸ほどの住宅があったが、数戸の新しい家を除いてほぼ全滅。高さ6メートルの津波に呑まれた死者は約120人、行方不明者は10人ほどだったと聞きました。少し高い所に建っているご当人の家など4軒は浸水を免れたものの、いつでも逃げられるよう裏山にはしごを立てかけていたそうです。
3.11当日、豊間中学校は卒業式で、3年生は帰宅。残っていた1〜2年生は校舎屋上に避難し、生徒の犠牲者はなかったとのこと。しかし、校舎1階の窓はすべて壊れ、海岸に近いプールの外側の金網フェンスもなぎ倒されています。なお、被災以来、中学校の授業は海岸から離れた所にある豊間小学校に間借りして行われているとのことでした。
この薄磯海岸は、映画「喜びも悲しみも幾歳月」のモデルとなった塩屋崎灯台の北側にあって、海岸からは灯台を間近に望めます。また、灯台への登り口の下には美空ひばりの歌碑(みだれ髪)が建ち、観光客が訪れていました。歌碑は高台にあるのですが、売店の女性たちに聞くと、津波はその場所まで到達したそうです。
灯台の南側には豊間の集落があり、ここも津波による相当のダメージを受けた様子が残っていました。震災後3年、がれきは撤去されているものの、復興とはほど遠い光景です。
●市役所・図書館を経て、研修会場へ
被災地から帰りにいわき市役所に立ち寄り、議会事務局総務議事課長の山崎俊克さんと面談。同市の被災や復興状況に関する資料の提供を受けました。その後、駅前の商業施設「ラトブ」の4階・5階にある「いわき総合図書館」で、震災関係の資料を閲覧。副館長の三瓶真二さんから、同館建設の経緯なども聞きました。
午後は、いわき市湯本地区の「ゆったり館」へ。福島原発震災情報連絡センターのスタディツアーに参加して、市や県の関係者の説明のほか、市民グループの取り組みにも学びました。