「議員活動報告」(新春号)の地域配布は、たくさんのボランティアの方々のご協力によって、ほぼ、北区内全域に及んでいます。まだ少しお届け漏れの地域があったので、東三国ヶ丘町や中長尾町を自転車でまわりました。もっとも、マンションなどの集合住宅では管理人さんの了解を得られないケースもあって、メールボックスへの配布が困難な所もあります。ご希望の方には個別にお届けできますので、ご面倒ですがご連絡ください。
さて、堺市議会では100条調査委員会もインターネット中継しており、実況をご覧になった方もおありかと思います。第1回(12月25日)と第2回(1月7日)は録画中継での視聴が可能で、第3回(1月22日)も1月27日にアップロードされる予定です。
いつもは駅前議会報告の際に「議員活動報告」を届ける駅近くのマンションなどがいくつかあります。「あまり遅くなっても…」と思い、今朝お届けしました。なお、今夜は雪の予報が出ており、路面凍結なども懸念されますので、明朝に再順延していたJR浅香駅前の活動は、2月1日(月)に再々延期とさせていただきます。
「暖冬」の予報に油断していたので、「40年ぶりの寒波」は堪えます。奄美大島で115年ぶりの雪、沖縄でも39年ぶりのみぞれを観測したとか。JR浅香駅前での議会報告の延期は正解だったようです。午前中は事務所で仕事。午後、ちょっと気になる事件について調べるため、上下水道局庁舎へ。
三国ヶ丘駅前での議会報告。低気温ながら風がないので、厳しい寒さを感じませんでした。事務所に戻ってから、市立堺斎場へ。社会福祉法人こだま福祉会理事長・田中逸郎さんのご葬儀にお参りさせていただきました。田中さんは終生障がい者運動に携わってこられた方で、新金岡団地の仲間として、互いが若いころからお世話になってきました。昨年10月にがんが判明。葬儀式では、ご本人が遺された「お別れの言葉」が披露され、参列者の心を打ちました。
▼本日はお見送りありがとうございました。誠に残念ではありますが、お別れしなければならない日を迎えました。この世に生を受けて77年有余、思えば物覚えついて以来「歩く」ことを知らず、焼夷弾の雨の中、母に背負われて逃げ惑ったことや、20歳にして松葉杖に頼りながらも立ちあがれたときのうれしさ、自立のための移動問題に正面から取り組んでそれなりの成果が残せたこと、孫より若い同級生からオッちゃんと呼ばれながらの夜間高校での宿題に悩んだこと、小さな作業所ではありますが夢の一端をかなえられたことなどが、懐かしく思い出されます。(中略)皆様方に再びお会いすることはできませんが、どうか残して逝く家族たちには末永くご厚誼いただきますようお願い申し上げるとともに、心中のすべてを文章に変えることができませんが、去りゆく者の胸中をご賢察いただければ、何より「餞」だと嬉しく存じます。皆様方におかれましては、より一層ご自愛いただき、それぞれの人生を全うされますことを祈念しつつ、簡単ですが、お別れの挨拶といたします。ありがとうございました。さようなら〜