ところで、昨日4月1日は、沖縄の人々にとって、虐げられた苦難を振り返る日でもあったようです。崎山正美さんが送って下さった『旧暦耳学問』は、「沖縄タイムス」の1面記事を紹介しています。記事には、辺野古新基地建設反対の座り込みが千日目を迎えたこと、1945年4月1日に米軍が読谷村の海岸に上陸した際に集団自決した住民の慰霊祭がチビリガマで行われたことが報じられています。
なお、崎山さんは、1951年4月1日が琉球政府発足の日であることも記しています。
昨日に引き続き、鉢花の手入れ。事務所前の葉ボタンを、昨日仕入れてきたヒメエニシダとフレンチラベンダーに入れ替えると、春の雰囲気がぐんと増しました。
沖タイが報じる2つ事件について、崎山さんは「73年の時空を超えてこの二つの動きは密接なつながりを有している」とも書いています。そして、「辺野古新基地に反対する理由は、日米間の地位協定の問題もあるが戦いはいやだという痛みからくる純真な気持ちと、基地とそこに賦存されている軍事力が決して人々を幸福にはしないという確信にある。政府は国防が必要だというが、基地の被害を受け続けてきた人々は地域を守ることが出来ないこの政府に国防を言う資格はないという思いしかない」と、沖縄の人々の思いを綴っています。
崎山さんはさらに、旧日本軍の沖縄守備隊は沖縄戦が始まる前から結末を見通しながら大本営に逆らえなかったこと、末端の兵士と住民は神風を信じて戦い、ガマに身を潜めて皇国の勝利を信じていたが、ガマから出て初めて「鬼畜米英」の刷り込みが嘘と知ったことに触れ、「そんな経験を持った人々だからこそ非戦を誓い、基地建設に抵抗するのである」と論じます。
そして、「国防を叫び沖縄に基地を押し付ける人々に私たちは愛国心の微塵も感じないし、教育勅語が正しいしつけだとは思わない。籠池事件で露呈しつつあるのはこのような勢力のおぞましい姿ではないか。品格、美しい日本及び法治国家を語るに資格のない群像である」と、このエッセーを結んでいます。