この笑顔に見られるように、五月さんは接する人々への気遣いを忘れない人でした。例えば、私が参議院選挙の応援に訪れた2004年7月5日の「江田五月活動日誌」には、朝からの応援者の名前を全員記した上、「堺市から、旧友の長谷川俊英さんが来てくれ、適切なアドバイスをいただきました。一緒にうどんで遅い夕食の後、総社泊」と書いています。そして、最後に・・・
▼長谷川俊英さんのアクション日記から
●7月5日(月)“期待”(?)したほど天気は荒れず、岡山は、とにかく暑い一日でした。
学生時代以来の親交がすでに40年を超える友人の選挙を応援するため、岡山県に出かけました。別段、何を手伝えるというわけでもないのですが、候補者の疲れがピークに達するころに顔を見せ、せめて元気を取り戻してくれることに役立てたら…と思っての訪問です。
実は、27年前、父親急死の後を受け裁判官だった彼が参院選出馬を決意した折、私は積極的には賛成しませんでした。あれから、衆参両院を通じて25年(父親と同じ)になる国会活動は、学究肌で政治に向かないと思えた友人を大きく変え、演説もなかなかの説得力に満ちています。とは言え、今回の選挙は、前回まで2人だった定数が1人に減って、現職のどちらかが落選するという厳しいもの。午後から選挙カーの先導車に乗り、2つの個人演説会に同行して、夕食を共にした後、最終の新幹線で大阪に戻りました。
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この日は選挙戦の12日目。五月さんは相当に疲れていた様子です。駅まで送って下さったスタッフの方から、「シュンエイさんが来てくれ、候補者が落ち着いた」と礼を言われました。ともあれ、疲れていても友への気遣いを忘れない、貴重な愛読者を失ったのはとても悔しいです。
■今日から「緊急事態宣言」
さて、大阪府に4回目の緊急事態宣言が発表されました。期間は今月一杯ですが、果たして感染拡大を抑止できるのか? 東京で起こっている宣言効果が見られない事態を考えると、とても心配です。なお、今日発表された新規感染者は、大阪府444人(亡くなられた方1人)、堺市32人(亡くなられた方はゼロ)でした。ちなみに、東京都は2195人で、月曜日としては過去最多だそうです。大阪府も昨日より半減していますが、休日明けの現象とみられます。
感染拡大への危険を避けるため、5日に予定していた中百舌鳥駅北側での議会報告は中止させていただくことにしました。
「あの笑顔を見てやって下さい」。江田京子さんが喪主挨拶で何度も述べた五月さんの遺影は、ほんとうに故人の人柄を表しています。
京子さんの話によると、五月さんは2年半ほど前から間質性肺炎を患い、優れた医療を受けて闘病生活を送っていたそうです。それまでの人生同様、生きることに前向きで一生懸命に頑張り、何度もの危機を乗り越えたとのこと。
しかし、80歳の誕生日(5月22日)の前あたりから病状が進み、7月28日の朝、入院中の病院で永眠されました。