11月19日(土) 「寒いだろう」と覚悟して出かけた東京も、きょうは穏やかでした。
※11月18日以前の日記は、前ページに掲載
(323)
《2005.11.19〜21》
「アクション日記」月別インデックスへ
午前中、大阪南港のインテックス大阪で所用を済ませから、伊丹空港の駐車場に車を預け、そのまま東京に向かいました。国会近くにある菅直人さんの個人事務所に集まったのは、菅さんのほか、元衆議院議員で成田市長も務められた小川國彦さん、千葉県栄町議の野田泰博さん、同じく四街道市議の田中良太さん。会合の目的は、11月1日の日記でも紹介しましたが、菅さんがホームページに特集を掲載している「団塊党」についての意見交換会です。
小川さんは、市長を辞められた後に「成田政経塾」を興して、地域の議員や市民とともに研修活動を続けておられる方。野田さんは、現職サラリーマンと町議活動を両立されていて、年休20日と10日程度の欠勤を議員活動に充てておられるとか。また、田中さんは、毎日新聞の政治部記者を勤めて定年退職後、住まいのある団地自治会の活動を経て、2002年の市議選に初当選した人で、私とは学生時代からの友人です。
なお、菅直人さんが構想している「団塊党」の性格について、本人は次のように書いてます。
私の考える「団塊党」は自民党とか民主党というような政権をめざす政党ではありません。「団塊党」は社会活動団体で、その目的は団塊世代が社会的な活動に参加するのを支援することにあります。各地での団塊世代の自発的な活動を紹介し、活動のノウハウの提供など支援するネットワークです。また誰かに自分の意見を聞いてもらいたいというような陳情の場でもありません。自発的に活動する人のネットワークです。
きょうは、お互いの活動状況を語りながら意見を述べ合いました。「党というより、“団塊協同組合”ですね…」という私の提案を菅さんはメモしていたようですが、議論はこれからも続きます。菅さんの動静としてマスコミの関心も集まっているようで、「NIKKEI NET」(11月14日)に記事を見ることができます。
11月20日(日) 「もっと寒いはず」と覚悟して出かけた館林市も、意外に暖かです。
昨日の会合の後、野田さんや田中さんと北千住で食事をし、夜遅く群馬県館林市の駅前ホテルに入りました。館林は、「文福茶釜」の茂林寺があり、また日本の公害運動の原点とも言える足尾鉱毒事件と闘った田中正造たちが集結した雲竜寺もあるまちです。18年前、このまちで政治倫理条例の制定運動が起こり、都合6度ほど訪ねてお手伝いさせてもらいました。運動のリーダーが市議になって活躍していたのですが、きょう告示された市長選に立候補。前回は無投票で、ほぼオール与党の議員たちが推す現職候補への挑戦です。あのとき熱く燃えていた住民の方々の運動やまちの様子を見たくなって、出かけました。
候補者ご夫妻に紹介されたお子さんたちは、もう全員が20歳を超え、父親の選挙運動を手伝っています。最初に訪問した日の夜、住民との交流のために自宅を提供して下さった遠藤勝三さんは、後援会代表。しかし、手料理をご馳走になった奥さんが4年前に急逝された悲しい出来事も知りました。また、あのころ、「地域主義集談会」といういかめしい名前のグループを主宰しておられた松下定光さんと“行き会う”(この地方の言葉)こともできました。それに、産経新聞の二渡紀充記者が、18年前の取材のことを覚えていて下さって、ビックリ。
11月21日(月) 泉北ニュータウンの冷え込みも緩く、街頭活動は助かりました。
栂・美木多駅前で、街頭活動。いったん事務所に戻り、ご近所のWさんのご葬儀に参列させていただいてから、またニュータウンへ。「議員活動報告」を配っていると、通行中の方からお声がかかりました。「誰が届けて下さっているのかと思っていたら、ご本人ですか!」…。この地域は、以前お願いしていた配布協力者が引っ越された後、事務所のスタッフとともに引き続いてお配りしているのです。
午後遅く市役所に出て、国勢調査の実施結果などについて担当課長からヒアリング。「封入提出」は予期した以上に多いようで、全員封入という調査区もあったそうです。それにいくつかのトラブルも…。