《2007.1.15〜17》
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※1月14日以前の日記は、前ページに掲載
1月15日(月)松の内もきょうまで。しめ縄を納めに行かれる方を見かけました。
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朝の冷え込みが厳しく、JR堺市駅前の街頭活動で「議員活動報告」を配って下さったボランティア・メンバーが、「指がしびれる」と言っていました。それでもたくさんの皆さんに受け取っていただき、掲載した事務所案内図のミスを見つけてわざわざ戻って来られ、「地図の銀行名が古い」とご指摘下さる方も何人かあったそうです。
終了後、まず連休中のご相談事項を電話で処理しました。そして、また挨拶まわり。幸いに日中は暖かくなったので、日暮れまで事務所に戻らずに続けました。
●昨年のお正月前、母の部屋に飾るために買い求めた寄せ植えの紅梅が、つぼみをふくらませはじめています。
1月16日(火)朝の冷え込みは相変わらず厳しく、午後は久しぶりの雨となりました。
今朝の議会報告は、中百舌鳥駅の南側です。そして、午前中から3時間、また自転車での挨拶まわり。なじみのそばやさんで昼食中に「市役所から来客」と電話があったため、いったん事務所に戻りました。再出発しようとしたら雨になり、「きょうは中止に…」と思っているところへ例の“ミラクル青年”が訪ねて来て、「一緒に出かけましょう」と励ましてくれるのです。そこで、近くの団地に車で向かい、傘を差しながら1時間余りまわりました。
夕刻からは来客つづき。最初は事務所の改装工事の打ち合わせです。その次に、団塊ネットのプレーヤー(候補者)志望の方との面談で、某紙の取材もありました。3番目は、泉州のある市で市議選に挑むという方のご相談。あわただしい一日が終わりました。
1月17日(水)昨日からの雨が朝まで降り続き、その後もすっきりしないお天気でした。
もともと街頭活動の予定を入れていなかったので、今朝の天候はラッキーでした。臨時議会のための議会運営委員会が開かれたこともあって、午前中は久しぶりに登庁して田中議員などと協議。事務所に戻って挨拶まわりの準備をしてから、また自転車で出かけました。
さて、きょうは阪神淡路大震災が起こって12年目です。12年前のきょう、私自身はそれまでに体験したことのない大揺れで飛び起き、寝室のタンスを支えながら家族の名を呼びました。その日、堺市議会は議会運営委員会が「行政視察」に出発する日になっていて、関西空港から、視察先の仙台市に向かうはずでした。ところが、鉄道不通に起因する道路渋滞で搭乗予定便に間に合わず、経路を変更して次の予定地の盛岡市から秋田市に行きました。
当時、議員でなかった私は、地震の翌日に堺市の救援体制を確かめるために電話をかけ、その事実を知って驚きました。そして、ちょうど朝日新聞に連載執筆中だった「あらためて問う地方自治」にそのことを書きました。「議員として、市民の被災状況を気にかけ、よその市のことでも被災者の救援に心を砕くのが当然ではないか」「仙台市に行けなくなった時、『今回は止めよう』と言い出す議員は一人もいなかったのか」(1995.1.25紙面に掲載)
たまたま、きょう議会で顔を合わせた当時の参加メンバーの一人が、「7時に市役所を出発する際には分からなかったけど、空港のテレビで高速道路が倒壊している現場中継を見て、『視察を中止しようか』と話題になった」と漏らしてくれました。それでも実施したのは、「キャンセルすれば視察先に失礼になる」という理由だったようです。しかし、視察先では「よくこんな時に来られましたね」と言われたとか…。その反省が生かされることを祈るばかりです。