4月9日(水)お向かいの玄関前で、このところキメラのハナモモが咲き誇っています。
《2008.4.9〜11》
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きょうは朝から快晴。地域配布を担当してくれているスタッフやボランティアの方と共に、「議員活動報告」を定期的にお配りしていないところを回りました。営業中のクリーニング屋さんでは「百舌鳥八幡駅で演説を聴いてます」と励まされ、また運転中の車を停めて「近所に配るから…」と申し出て下さった方もありました。だんだん汗ばんでくる陽気の中、百舌鳥梅町、東上野芝町、百舌鳥本町などを終えて昼食休憩。午後の百舌鳥赤畑町は2人に委ねて、随契問題の勉強会に参加するため大阪市内の弁護士事務所へ。
4月10日(木)昨夕から降り始めた雨がお昼前に少し止み、その後一日中続いています。
かつて堺市議として活躍され、その後、いずれも大阪府議を務められた中野清さん(67歳・自民党)と中井昭さん(65歳・公明党)が、それぞれ8日と9日に相次いで逝去されました。お二人とも、政治的立場は私と対極にあった方ですが、同年代で同時代に議員活動をご一緒させていただいた仲間として、哀惜の思いがひとしおです。きょう午前、雨が小康状態となった折に、中野さんの地元会館で開式されたご葬儀に参列して、お別れさせていただきました。
午後からは、市当局のいくつかの担当課に作成を依頼していた資料を受け取り、また、市教委からは説明も聞きました。
4月11日(金)お向かいのハナモモの木の下には、ハナニラもたくさん咲いています。
きょうは、中井昭さん(元市議・元府議)のお葬式。きのう昨日の日記には、政治的に対極にあったと書きました。しかし、それは「政党人」という活動スタイルのことで、まったく通じるところがなかったわけではありません。私が初めて市会議員となった1979年。その年の12月議会に下水道料金引き上げの議案が提出されました。議案に対する本会議での質疑で、私は、下水道の料金体系が超大量使用者(企業)に有利となっていることを指摘し、少量しか使わない一般家庭の負担を増大するのは誤りだと主張しました。
当時、この議案が付託された建設委員会の委員だった中井さんは、私の議論に関連する質疑を委員会でされ、さらに各会派との調整を図った上で議案の修正を提案。その修正案では、私の主張どおり、それまでは「1千立米超」しかなかった大量使用者の区分に「5千立米超」の新ランクを設けて原案の1立米あたり58円→63円(増額)、一般家庭(20立米以下)は原案24円→21円(減額)…とするものでした。そしてこれが、全会一致での可決となりました。
なお、その2年後に議員らの汚職事件が摘発され、市民の直接請求による「政治倫理条例」の制定運動が起こります。「否決」する空気が強かった議会会派の中で、いち早く態度を変えたのは公明党でした。一挙に流れが変わり、特別委員会での「可決」前に記者会見をすることになっていたのですが、依然として反対姿勢を崩さなかった保守系議員の抵抗があって、会見を躊躇する議員もいました。「俺が責任を取る!行け!」と檄を飛ばして仲間の足を会見場に向かわせたのが公明党の岩崎林一郎議員(当時)で、ここ2日連続の葬儀式場で久しぶりにお目にかかりました。あのころの堺市議会は、これほど存在感を示していたのです。