1 橋下知事のねらいと実現手法
民主党代表選挙で小沢一郎元幹事長に勝った菅直人首相は、「412人内閣をつくる」と表明した。
私が菅直人さんとはじめて会ったのは、1976年の8月。菅さんが29歳、私は34歳だった。同年2月に発覚したロッキード事件で7月に田中角栄元首相が逮捕され、日本中に金権政治への怒りが渦巻いていた。その2年前に市川房枝さんを担いで参議院選挙の事務局長を務めていた菅さんは、「批判するだけではダメ、自分たち自身が参加して政治を変えるべきではないか」と考えた。そして、自民党型の金権選挙ではない新しい選挙スタイルのモデルをつくり、「東京と大阪で三、四人ずつ出そうか」(菅直人『日本大転換』光文社、1996年)と思いたち、堺市で地域住民活動をしていた私を訪ねてきてくれたのである。若者仲間と一緒にわが家に泊まった菅さんと一晩語り明かしたが、私の考えは、地方政治をとおして菅さんと同じ思いを実現するということだった。
結局、その年の12月に実施された総選挙に菅さんは一人で立候補し、敗れた。それからさらに2度の国政選挙にも落選して、4度目となった80年の総選挙では初当選を果たしている。
前置きが長くなるが、菅首相が「412人内閣」といったのは、田中角栄の薫陶をうけ、竹下登・金丸信などのもとで政治手法を磨いてきた小沢一郎氏とは異なった政権運営をしたいと主張したのだと思う。つまり、権限を自分に集中させその力によって政治を動かそうとする小沢流ではなく、民主党国会議員による「参加民主主義」を実現するため、「412人内閣」という言葉を使ったのではないだろうか。
さて、大阪府の橋下徹知事が、当選以来試みている政治手法は、みずからが主導して突き進んでいる点において菅首相が対峙しようとしている小沢流政治に似ている。また、マスメディアを利用して巧みに世論を惹きつけるのは小泉純一郎元首相の手法にも学んでいるように思える。
橋下知事は、2011年の統一地方選挙にみずからが率いる「大阪維新の会」公認候補をたて、府議会・大阪市議会・堺市議会で過半数の当選を期すという選挙方針を打ち立てている。朝日新聞などの世論調査で府民の支持率が80%前後という人気を背景に、二元代表制という現行地方制度の破壊さえ意図しているかにみえる。また、このような激しい企てはメディアによる報道の機会を増やし、注目度をさらに高めるという構造を生みだしている。
2 「大阪都構想」、そして「大阪維新の会」の“議会改革”論
橋下知事は就任当初から関西州構想の実現に積極的に取り組んだ。しかし、兵庫・京都・滋賀の三府県知事が消極的で実現への道が遠いとみてか、新たに「大阪都構想」をいい出した。また、それを実現することへのハードルの高さがわかると今度は大阪市の分割構想を唱えるなど、みずからの主張を自在に変幻させている。知事がこれらの“構想”を打ちだす出発点としているのは「地域主権の確立」であり、“構想”には分権の推進をはかるという時代的目標がある……とみえるように仕組まれている。ただし、知事はその後、大阪市分割案を撤回しており、世論を推し量る“着想”(思いつき)で、世間を振り回しているようにもみえてきた。