JR浅香駅前で議会報告。現地に到着してすぐ、散歩中の方やこれからお出かけになる何人もの方々から激励を受けました。
開始後には、自転車で通りがかった方が次々手を差し出して、配布中のボランティアに「議員活動報告」を請求されます。また、堺区側から来て駅を利用される皆さんにもたくさん受け取っていただきました。さらに今日は、登校する女子高生からも「下さい」との声がかかったとか。配布者の「選挙権あるの?」との問いに、「ぎりぎり」と答える声が聞こえました。
ところで、天気予報によると今夜からの雨が明朝まで続くようです。そこで、予定していたJR堺市駅前の議会報告は1日順延して、2日(水)に実施することにしました。その後は、4日(金)JR百舌鳥駅前、8日(火)中百舌鳥駅北側で実施する予定です。なお、市政報告会は13日(日)午後2時〜長谷川事務所で開催します。
駅前議会報告の予定があと4駅となり、「議員活動報告」の最終残部見込みが計算できるので、早朝に未配布の集合住宅をまわりした。配布部数は1062部。
午後からは、第6回議会報告会に出席し、受付・案内などを担当するサポート議員を務めました。開会前に挨拶しているのは、左から渕上猛志(ソレイユ堺)、田代優子(公明)、平田大士(自民)、長谷川、青谷幸浩(維新)、石本京子(共産)の各議員です。
また、今日の報告会は、まず議場で議運副委員長が8月定例会の審議状況を報告しました。その後、場所を委員会室に移し、各常任委員会ごとのテーブルを設置して、参加市民と議員が意見交換。途中でテーブルを替わるダブルトークを実施しました。
参加された市民は30人。各テーブルとも、市民から厳しい意見が出ていたようです。
金岡北中学校で催された、創立70周年記念式典にお招きを受けて参加しました。1947年の新教育制度発足に伴い「堺市立第9中学校」として創設された同校は、1950年に「金岡中学校」と改称。分離して金岡南中が誕生した1977年に、「金岡北中学校」となりした。
分離の原因は、1966年に町開きした新金岡団地への入居者が増え、同校生徒も以来増加の一途をたどったことです。1976年10月発行の「こんにちは!」新聞(76号)には、最大となった同年10月6日の体育大会の様子が報じられています。
●「71クラス・3094人」…“日本一のマンモス校”
掲載した写真のとおり、グラウンドの奥には急場しのぎのプレハブ校舎が写っています。その前に、生徒たちが学年ごとに集団をつくり、最前列に並んだ1年生のプラカードは、「27組」まであったことを示しています。
当時、この地域新聞の発行責任者だった私が写真を撮りながら耳にした司会のアナウンスは、「日本一のマンモス校、71クラス、3094人、堂々の行進」と誇らしげでした。
しかし、超過密校の弊害は歴然で、卓球部の部活中に生徒が死亡するなど、悲しいニュースを記事にしたこともありました。裁判になったこの事件は、卓球台が足りず、1年生の練習は「体力づくり」のランニングなどがほとんどだったため、炎天下の道路で起こりました。
●あらため見直した「市立図書館」の役割
ご紹介した「こんにちは!」は、1970年8月に団地住民の仲間で創刊した地域情報紙です。市議になるまでは私が発行責任者でした。ところが、我が家には5周年のときに製本した66号までしか残っていないのですが、北図書館がきちんと保管してくれていました。杉田館長の話によると、以前にこの図書館に赴任していたとき、私の事務所を訪ねてきて資料収集。1部だけだったものはコピーして製本の上、地域資料として所蔵してくれていたのです。
※写真や「こんにちは」は画像クリックで拡大します。
南海・百舌鳥八幡駅前で議会報告。この駅前ではよくあるのですが、踏切に近づいて徐行する車の窓が開き、大声でのご声援をいただきました。くれぐれも安全運転を…。
午後1時からは、百条委員会で、黒瀬大議員に対する2度目の証人喚問です。尋問前に小堀副委員長が、昨年12月以来、13回にわたる委員会の開催状況を報告。これまでの小林・黒瀬両議員の尋問で、小林議員が政務活動費への責任・権限を放棄していたこと、他方、黒瀬議員には事務執行に関する責任意識が欠如していたこと、さらに両証人の証言に食い違いがあることが判明したことなどを明らかにしました。
その後、小林由佳議員がチラシの印刷や配布を委託した業者である吉田誠也氏と吉田裕美子氏の証人尋問を11月11日に行うことを決定しました。さらに、黒瀬証人が証言席に着き、証人宣誓を行う前に、田渕委員長が再び証人尋問を行うことになった理由を説明。黒瀬証人に対して、「あなたも堺市議会の議員であり、市議会として真相を究明するために行っている本調査に協力する義務がある」と説き、「誠心誠意お答えいただくようお願いします」と結びました。
▼黒瀬証人は、印刷・配布業者(吉田誠也氏)の電話番号を証言
さて、その黒瀬議員は、秘密会となる前の尋問で、吉田誠也氏の住所は「領収証に記載のもの」とし、吉田裕美子氏については「家族なので同じ場所と思う」と証言。さらに、「吉田誠也氏の電話番号を知っている」「今週も連絡を入れた」などと証言の上、番号については秘密会において答える旨を語りました。その後、百条委員会は傍聴者と取材記者に退席を求め、委員と証人、議会事務局職員だけで秘密会として尋問を続行しましたが、その内容についての説明は控えます。
▼田渕委員長が「吉田証人の出頭を切に願う」と所感表明
会議の最後に、田渕委員長が今後の進め方についての所感を表明。両吉田証人の出頭に向けて、これまで何回も書留や配達記録郵便を送り、議会事務局職員が5回以上にわたって住所地を訪問しているのに、両人とも応答がないことなどの経過を説明。今日の黒瀬証言によって新たな連絡先手がかりが判明したので、早急に連絡をつけ、必要な場合は日程変更もありうることを言明。その上で、「当人たちの出頭を切に願う」と述べました。
さて、黒瀬議員が証言した電話番号で本当に吉田誠也氏との連絡がとれるのか。吉田氏の誠意や黒瀬議員の真相究明への責任意識が試されることになりました。
午前中に登庁して、市民相談。また、法律相談のため、相談者と弁護士事務所も訪ねました。午後は、生活援護、住宅、保育所などに関して、担当職員を交えて面談。その後、北区役所にも足を運びました。
また今日は、11月に予定している「子どもと女性が輝く社会実現調査特別委員会」の行政視察について議会事務局と協議。視察内容やスケジュールもほぼ確定しました。視察先は、横浜市と神奈川県男女共同参画センターです。なお、同委員会はその後、1月30日(月)午後に研修会(講師=リヒテルズ直子さん)を開催。2月2日(木)には、午前10時から委員会を開催して委員間討議を実施する予定を決めています。
三国ヶ丘駅前で議会報告。いつものように、西口(北区)と東口(堺区)で「議員活動報告」をお届けしました。私がスピーチに立ったのは、西口側です。
駅前報告終了後に登庁して、子どもと女性が輝く社会実現特別委員会を開会。まず、「@子どもの貧困」「A子どもと女性に対する暴力のないまちづくり」「Bジェンダー教育の実情」という3つのテーマごとに、それぞれの担当課から取り組み状況の説明を受けた後、委員が質問しました。事前に通告があった委員以外も発言する活発な議論を展開。また、委員長として、昨日から新聞テレビが全国ニュースで報じている所在不明の児童についての報告も求めました。
なお、予定テーマにはなじまない「エネルギー出前講座」に関する質問の通告があったため、この特別委員会の調査目的に関する「その他のテーマ」として発言してもらうことを委員会に諮って決めました。
この質問をした山口典子議員は、文部科学省の出前講座として行われた放射線授業について、参観した保護者らが指摘している授業内容に関する問題点を取り上げました。南区の小学校で行われた当該授業は、昨日、文部科学省も派遣講師の発言が不適切であった旨の見解を発表しています。山口議員の質問に、堺市教委は「授業内容は非科学的で不適切」と答弁。市教委と同校教諭が担当して授業をやり直すことも表明しました。
熊本視察の2日目は、県議会へ。「震災時の健康管理」という視察テーマについて、各施策の担当課から順次説明を受けました。
@健康づくり推進課「被災地における保健衛生対策」=県外からの保健師、管理栄養士などの派遣を受け、健康管理や感染症対策にあったこと、避難者のエコノミークラス症候群や熱中症予防対策などについての取り組み状況を聞きました。
A障がい者支援課「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」=東日本大震災の当時から「こころのケアチーム」の活動が始まりました。熊本地震では、先遣隊によって被災した精神科病院の患者の転院支援が行なわれたほか、後発の支援チームは被災者や市町村職員に対するメンタルヘルスなどの対応を行い成果があったとのことでした。
B健康福祉政策課「災害派遣福祉チーム(DCAT)」=熊本県地域密着型サービス連絡協議会に派遣要請し、福祉避難所にて活動。県外からは、岩手県と京都府から支援申し出があったため、派遣要請が行なわれました。
C健康危機管理課「熊本地震における感染症コントロール」=地震による断水が続き、感染症、食中毒の発生を防止するほか、避難者が同行したペットへの対応も求められたそうです。衛生物資の供給、啓発チラシなどにより、感染症ブレークは起こらなかったとか。ただし、おにぎりづくり従事する人の体調不良が黄色ブドウ球菌による食中毒を発生原因となったことから、炊き出しボランティアを対象とするミニ衛生講習会や指導を行なったそうです。
▼熊本視察余話写真
左(その1)…「復旧まで20年かかると」と言われている被災した熊本城
中(その2)3年前にもお世話になった議会事務局の富永健之次長(右)と濱崎尚章さん(左)
右(その3)熊本城の観光施設で、手作りの地元RRパンフをくれた鹿児島県南さつま市立加世田小の児童たち
健康福祉委員会の行政視察で熊本市を訪ねました。4月の地震から半年を経たとは言え、この時期に訪問することにやや躊躇していたのですが、現地の方のお話によれば「賑わいを取り戻すためにも大歓迎」なのだそうです。
●熊本市動物愛護センターの震災時の活動など
まず訪ねたのは同市動物愛護センター。市域東部に立地するこのセンターは震度7を観測した益城町に隣接した地域にあり、入り口の石垣も崩れたままです。応対して下さった同センター職員の話によると、被災時には備品等が床面にちらばるなど被害は大きかったものの、犬や猫を収容し建物は無事だったとのこと。しかし、水道が止まり、飲料水は給水に頼ることができたが、動物たちを洗う水は川から汲み上げて来るなど労力を要したそうです。また、市民が避難所に同行したしたペット、家屋倒壊などによって飼い主から離れた犬、猫などへの対応など、同センターが直面した様々な課題についての説明を受けました。
なお、熊本市では従来「動物管理センター」であった同施設を、2002年に「動物愛護センター(ハローアニマルくまもと市)」と改称。安易な犬猫の引き取り依頼者への説得を強化するなど、「愛護施策」に力点を置いており、2007年にはガス(CO2)による殺処分を中止し、以後、「殺処分ゼロ」を目指す動物愛護行政を展開しているとのことでした。
●熊本市議会で「慢性腎臓病(CKD)対策事業」を調査
続いて、熊本市議会を訪問。同市の健康づくり推進課が取り組んでいる「CKD対策」について説明を受けました。同市では腎臓病による人工透析を受ける患者が多く、2008年の医療施設調査では政令市のトップでした。そんな状況に危機感を抱いた保健師たちが、市内医療機関のキーマンたちと接触してプロジェクト会議を開催。2009年には市長をトップとする「熊本市CKD対策推進会議」を設置しました。その後の様々な取り組みにより、全国人口100万人あたりの新規透析導入患者数の割合は、2009年当時全国の1.47倍であったものが、14年には1.12倍に、15年の速報値では0.99倍となるという大きな成果を収めています。
「議員活動報告」の地域配布が一段落。「カラー印刷で分かりやすくなった」との声が多くの方から届いています。もっとも、「百舌鳥小」とすべき文字が「中百舌鳥小」となっていた校正ミスのご指摘もありました。お恥ずかしい次第です。
行政視察や百条委員会などの日程と重なり、駅前議会報告はまだ少しかかります。以後の予定は、26日(水)三国ヶ丘、28日(金)百舌鳥八幡、31日(月)JR浅香、11月1日(火)JR堺市、4日(金)JR百舌鳥、8日(火)中百舌鳥駅北側。また、市政報告会は13日(日)午後2時〜長谷川事務所で開催します。
●委員会・議会報告会の開催予定
▼10月26日(水)10時〜/13時〜子どもと女性が輝く社会実現調査特別委員会(珍しく、長谷川が委員長を務める委員会です。傍聴して下さい。インターネット中継もあります))
▼10月28日(金)13時〜百条委員会(黒瀬大議員の証人尋問=両吉田証人の所在確認)
▼11月11日(金)10時〜百条委員会(吉田誠也氏の尋問/13時〜吉田裕美子氏の尋問)
▼10月30日(日)13時30分〜議会報告会(今回、長谷川はサポート議員を務めます)
午前中、百舌鳥西之町2丁の各戸に「議員活動報告」を届けました。1時間55分で389部。なお、残部数が少なくなったために配布を控えさせていただいた集合住宅もあります。万一届いていなかったら、恐縮ですがご一報下さい。夕方から、事務所で市民相談。