3月26日からベトナムに行って来ました。しばらく日記更新が滞りましたが、今朝6時30分に帰国。ハノイ空港を発ったのが0時40分(日本時間2時40分)でしたから、フライト時間は4時間余りです。機内では、離陸後しばらく続いた座席ベルト着用から解放されたらすぐに朝食となり、うとうとする時間は1時間もありません。昨日のハノイは、滞越中初めての雨で、飛び立つ前には激しい雷雨でした。それでも気温は25℃。関西空港着陸時(11℃)の寒さに驚きましが、帰宅道中、あちこちで満開の桜の姿を見てホッとしました。
帰宅後、お風呂に入って体を目覚めさせ、一休みしてから市役所へ。午後からの「第2回議会報告会」に備えて議会事務局と打ち合わせ。今回の私の役割は「サポート議員」で、参加市民の方々の受付や、報告会進行上の説明役などを務めました。参加者は65人で、昨年10月14日に開催した「第1回」(67人)とほぼ同数。ただし、発言された方は21人と、前回(16人)を上回りました。このため、1時〜2時半の開催予定時間が大幅に延びましたが、市議会としてたくさんの市民のご意見を伺えるのはいいことだと思います。
※プライベートな旅行ですが、ベトナム訪問記(26日〜30日)は後日まとめ掲載します。
今回の旅行中、初めての雨。ホテルの窓から光景も霞んでいます。ゆっくりと見たわけではありませんが、ハノイの中心部は「ヨーロッパの街」を感じました。フランスによる植民地支配の下で生まれた町並みでしょうか。
今日は朝7時半にホテルを出発して、ベトナムきっての景勝地・ハロン湾へ。孫が母親から頼まれていた焼き物を入手するため、陶磁器の里・バチャン村にも立ち寄ってもらいました。
ところで、ベトナムの道路はバイク、自転車、人、自動車が入り混じっています。信号機はほとんど整備されておらず、車は反対車線を使っての追い越しを常識としています。よくこれで事故が起こらないものと思っていたら、バイクと自転車の接触事故を見ました。
また、いかにも発展途上の国らしく、ハロン湾への鉄道敷設も中断されたようで、鉄橋の建設工事が止まっていました。電力は水力と火力が主体。道中には火力発電所が多く見られました。すでに原発推進が決まり、ロシアが受注。日本への発注も予定されているようですが、心境は複雑です。
ハロン湾クルーズの際、ひときわ賑やかな男性グループを乗せた船を見ました。同船していたベトナムの方に聞くと、どうやらお役人たちのようです。「大嫌い」と呟いたその方の言葉が印象に残ります。ちなみに下の船室では、船の従業員が料理の食べ残しをつまんでいる姿も見えました。
ともあれ、5日間のベトナム滞在は、とても楽しい旅でした。出発前にさんざん脅された「危ない目」にあうこともありませんでした。
ハロン湾から3時間半かけてハノイに戻り、水上人形劇場近く土産物店に立ち寄り、昨夜とは趣の異なるハノイ料理を食べてから空港へ。ハノイから関空へのベトナム航空330便は、日付が変わって0時40分(日本時間2時40分)発。到着は6時30分で、その間に朝食が出るため、眠る間がありません。
朝6時、ホテルのプールで泳ぎました。午前中はガイドの案内で民族舞踊や1593年に日本人が造ったという来遠橋、中国様式の建物など、旧市街の名所を見学。
また、自転車や人を満載した渡し舟、市場の屋根の葺き替え工事、賑わうマーケットなどを駆け足で見てまわりました。
川辺のレストランで昼食後、車でダナン空港へ。15時40分発の国内線でハノイ空港まで1時間余りのフライト。私たちの名前を書いた黄色い紙を掲げて出迎えてくれたガイドのウェン・ハイさんには、この後、大変お世話になります。
市内のホテルにチェックインして、すぐにハノイ料理のレストラン、そして水上人形劇場に案内してもらいました。1000年前から伝わる農民劇を起源とするこの伝統芸能は、実に感動的でした。水中でどのように人形を操るのかと思っていたところ、使い手たち全員がフィナーレに姿を見せてくれました。
今回のベトナム旅行を思い立ったのは、息子がアジアの仲間たちと催している作品展を見るためです。今日はまず、ホテル近くの会場に足を運びました。
ここでは、何人かの制作者たちと交流。また、前回の韓国清州市の作品展でも会ったダンホァン・アンさん(写真右から2人目)には、フエ料理の店に案内していただき、ご馳走になりました。
午後、次の訪問地ホイアンまでは3時間半のドライブ。ダナン空港到着以来ずっとお世話になっている運転手さんが、今日は助手席に若い女性を乗せています。「ガールフレンドか」と質問したら、「マダム」(妻)だと、嬉しそうです。
ホイアンの宿泊ホテルは、世界遺産となっている旧市街の近くにあります。一休みして散策に出ると、落ち着いた町並みは、おもに欧米系の観光客に溢れていました。予約なしに飛び込んだレストラン「カーゴ・クラブ」では、英語メニューに一苦労しながら、名物のホワイトローズ(エビ餃子)とカオラウ(麺)を賞味。提灯の明かりに彩られた夜の街は格別の風景でした。
私たちが泊まったホテルのレストランは、中庭の木陰にあります。ゆっくり朝食をとってから、ベトナム最後の王朝となった王様たちのお墓やお寺、さらにベトナム線香製造の様子などを見学。お墓のある公園では、小学生たちの遠足風景も見られ、大きな掛け声が聞こえたのでよく見ると、グループに別れて綱引きをやっていました。
衝撃を受けたのは、お寺に展示されれている古い乗用車。ベトナム戦争中、サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ大使館前で焼身自殺した僧侶が、この車でサイゴンまで行ったそうです。
夕食は「宮廷料理」。隣席は、若い夫婦と幼児2人の英国人家族でした。故国は「フリーズ」だと言い、ベトナムでの3週間のバカンスだそうです。なお、息子の友人アンさんの父上からご招待を受け、夕食前の小時間、お宅を訪問。ご両親ともに元警察官で、ベトナムでは裕福なご家庭と見受けました。
10時40分に関空を飛び立ったベトナム航空321便が、ホーチミン空港に着陸したのは15時10分。2時間の時差があるため、フライト時間は6時間30分です。現地気温は34℃。肌寒さを感じた日本から、いきなり「真夏日」の国への旅を試みました。ちょうど春休み中だった中一の孫が「行きたい」と言ったので同道。孫にとっては初めての海外旅行です。
ホーチミン空港から16時発の国内線に乗り換え、ダナン空港に17時10分着。目的地のフエは空港改修工事のため、ダナンから陸路をとりましたが、ダナン市内では退勤時のバイク群にびっくり。途中の山道での渋滞もあって、フエのホテルに着いたのは20時でした。
3か月前からフエに滞在中の息子が、現地で知り合った友人のホァン・アンさんを伴ってホテルに来てくれました。ホテル前の公園では夜間バザールが開かれており、アンさんの案内で見学。夜店で、孫が欲しがっていた竹製のトンボを購入しました。
お昼前から1日コースの人間ドック。受診準備などを含めて、全日つぶれました。そんな事情でNさんの葬儀式にはお参りできず、心で手を合わせていました。ご冥福を祈ります。
それにしても、広島高裁の衆院選無効判決は最高裁の判断をないがしろしてきた国会議員たちへの痛烈な宣告です。「決められない政治」への批判がいっそう強まることでしょう。
※明日からのブログ更新はしばらく遅れます。
午前中、4月3日から始める予定の駅前議会報告の日程調整など、事務所で仕事。午後は、ほとんどかまっていないのに出番を謳歌し始めた花たちに栄養補給もしてやりました。
そして、夕刻、Nさんの通夜式場に写真を届けました。1週間前に見舞った際、筆談のホワイトボードの文字を記録するために持参したカメラを見たNさんから、「撮ってほしい」と頼まれた彼とお連れ合いさんとのツーショットです。読経を終えた僧侶の説教に「愛別離苦」という言葉がありましたが、61歳で他界したNさんの思いはまさにそうであったでしょう。通夜式には、たくさんの堺市職員もお参りしており、中には「アクション日記で知った」という人もいました。
昨夜のお通夜にお参りさせていただいたご近所のMさんは、実は、堺市の幹部職員だった方です。今日のご葬儀にも職員OBの皆さんがたくさん参列していました。ほんとうに優しいおじいちゃんだったようで、3人のお孫さんが読んだ「お別れの手紙」が涙を誘います。
ところで、先日お見舞いに伺った元議会事務局職員のNさんは、私たちとの会話をとても喜んでくれていたそうです。明日にでもまた再訪して歓談しようと思っていたのに、今日午後4時、穏やかに病との闘いを終えられた…と、ずっと病床に付き添っていたお連れ合い様から知らせていただきました。謹んで哀悼の意を捧げます。なお、通夜式は24日(日)午後7時〜、葬儀・告別式は25日(月)午前11時〜12時。いずれも、セレモ大山(大阪狭山市茱萸木1丁目277-1)で執り行われます。
午前中、地方独立行政法人「堺市立病院機構」の理事長らによる説明会がありました。内容は、平成24年度の運用状況と経営状況、そして新病院の整備事業について。昨年4月に独立行政法人になった市立堺病院が、その組織変更のメリットを活かしていかに改革を進めているか…幹部職員たちの自信に満ちた説明でした。救命救急センターを併設する新病院(下はイメージ図)は2015年3月1日の開院をめざして、4月から工事が始まります。なお、現病院は、清恵会病院に譲渡されます。
説明会修了後、急いで大阪市内へ。昨日のお通夜に続き、Kさんのご夫君の葬儀式に参列させていだきました。また、夜は、ご近所の方の通夜式です。