過日、印刷所から納品があった「議員活動報告」(bW3)は、連休明けからお届けする心づもりでいました。
しかし、地域配布を担っていただ方々の中には、早くも事務所まで受け取りに来て下さる方があります。まだ仕分けが済んでいないのですが、その場で数えてお渡ししています。
さて、今日午前中、「市政を刷新し清潔な堺市政を取り戻す市民1000人員会」の賛同者会議の案内をいただいたので出席。市政の現状を憂う市民は多いようで、会場の堺市産業センターの会議室からはみ出すほどの人々が集まっていました。
その後、中央図書館に足を運び、昨日の日記に書いた「柴山全慶老師の『利休辞世の内容』」が掲載された書物を閲覧。柴山氏は「利休は、自刃という一事をつうじて、真に解脱者の風光を示し、われわれにかかる大説法をのこしたとみるのが、辞世の偈を書き残した真の意味というべきであろう」と解説しています。
竹山市長に辞職を勧めるために用意した千利休の遺偈(下右)について、本会議の討論では「その意味を語る力はありません」とお断りしましたが、何人かの方々から「どういう意味ですか」と尋ねられました。
例えば、高橋富雄著『引き際』(河出書房新社)では、「わが人生七十年、今ここに終える。さらばぞ、えーい、えーい。わが命を断つこの必殺の剣は、祖仏も共に殺して無明に入る」。続く辞世の句(下左)は「わが手に取り持つこの一本の刀で、この命を断ち、その剣を天高く投げ上げて祖仏共に命を断って生死を離れるのだ」と意訳されています。
なお、高橋氏が参考にしたという芳賀幸四郎著『千利休』(吉川弘文館)には、古書からの考察ともう少し長い「通釈」が示されています。またその芳賀氏は、「この辞世の偈と和歌の意味」は「古来諸説あるが、最も参考になるのは柴山全慶老師の『利休辞世の内容』という一文である(千宗左編『表千家』所収、角川書店刊)」と書いています。
10連休の3日目。この3日間は、ほぼ半年にわたって放りっぱなしだった事務所周りの花たちの世話。初日は琉球アサガオのネットを張り、昨日仕入れてきた新しい花苗を、今日植え付けました。
竹山市長の辞職に伴う市長選挙は、5月26日公示、6月9日投開票と決まりました。この間、市長を激しく攻撃してきた大阪維新の会は、すでに候補者選びの作業に入っているようです。
報道でも、反維新の砦だった竹山氏の失脚に乗じて、維新の勢力拡大が取り上げられています。
果たして、それでよいのか。
市民としてきちんと考えてみようという方々からの要請を受けて、下のような集いでお話しさせていただくことになりました。
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今朝の毎日新聞に、昨日の討論で述べた「反省」と、竹山市長が控室にあいさつに来られた折の風景が報じられています。記者さんによると、市長は私のところに来るまで涙を見せなかったそうです。私が最後だったので、こらえきれなかったのでしょうか。
市長に「残念でしょう」と声をかけたのは事実ですが、「残念」だったのは私も同じでした。討論でも触れたように、竹山市長が取り組んだ施策は十分に評価できるし、担当する職員からの信頼も厚かったように思います。
そして何より、議会では正面から議員と議論する姿勢を保ち続けました。私が初当選以来に接した堺市長は5人いますが、多くの市長は担当職員と助役・副市長に答弁を委ねるのが常で、よほど詰めないと自身で語ることは珍しかったものです。その点、竹山市長は最初から率直な議論を通して事を見極めようとしていたと思います。
●「政治とカネ」は政治に携わる者の最根幹にあるもの
にもかかわらず、今般次々と明らかになった事実、また指摘を受けて訂正を余儀なくされる事態は、ご当人に「政治とカネ」に関する意識が欠落していたことが明らかです。期を重ねるに従って、巨額の献金やパーティ収入が集まっているのに、家族だけでそれを管理し、政治資金規正法に基づく処理を怠っているなど、まさに言語道断と批判しなければなりません。
あらためて、初当選の際に推薦をいただいた市川房枝さんの言葉を思い出します。「清潔な政治を実現しようと思うなら、その入口の選挙からきれいにしなければいけませんよ」。ちなみに、先日選管に提出した今回の選挙費用は、187万6428円。その費用を負担する「長谷川俊英推せん会」に集まるお金は、すべて個人からの寄付で、企業・団体献金はお受けしていません。
▼毎日新聞(2019.4.27) 画層クリック→拡大
竹山市長が4月30日で辞職するために招集した臨時議会が開かれました。辞職には全会派が同意したものの、各会派ともそれぞれの代表が意見表明。
●議員総会のために用意した利休遺偈
私はまず、千利休の遺偈(ゆいげ)を示しました。時の権力者・秀吉の逆鱗に触れた利休は、この遺偈を書いた3日後に自刃。当日の天正19年2月28日は、新暦では1591年4月21日に当たります。
400年以上を隔つとは言え、季節は同時期で、利休は数え年の70歳でした。1950年生まれの竹山市長も、利休と同じ節目の年を迎え、市政の主人公である堺市民から大きな怒りを買っています。
実は、この遺偈は、4月23日に開かれるはずだった議員総会で示して竹山市長に辞職を勧めるために用意していました。
●市民目線を忘れた政治資金対応
竹山市長は、「堺市政を市民目線で総点検」のスローガンを掲げて初当選。各年度の予算説明にもその言葉を多用してきました。また、以後の施策の多くは「市民目線」で展開されていると評価できます。
しかし、今回の政治資金問題では、記載漏れの収支総額は2億3千万を超え、報告発表後の指摘で説明も変遷しています。政治資金規正法への認識を欠落させた対応は、「自分目線」としか言いようがありません。
●チエック怠った私自身も反省
1期目には「企業・団体献金を受け取らない」と言っていた竹山市長の下に、これほど多額の政治資金が集まっていたことも驚きです。「政治とカネ」について、私自身がチッェクを怠ってきたことへの反省も述べました。
そして、32年前に堺市民が制定させた「政治倫理条例」の規定を、市長も議員もあらためて自覚しなければいけないと主張。
最後に、竹山市長が退任後も数々の疑問について市民に説明し、今般の政治資金問題の真相を明らかにすべきこと。「市民目線」の初心を取り戻して、市政執行において残した業績の曇りを取り除くことを切に望むと付け加えて、討論を終えました。
▼議場スクリーンに示したスライドの一部(画像クリック→拡大)
選挙後の後始末も、そろそろ目処が付いてきました。12月以来、ずっと事務所を切り盛りしてきてくれたスタッフにも、大型連休はゆっくりしてもらえそうです。
私は、明日の臨時議会で審議する竹山市長の辞職許可についての討論の準備。現在の任期の最後になる議員としての発言です。会議は午後1時に開会。最終バッターですから、2時前頃の登壇になるでしょうか。
午後、事務所で市民相談。「議員活動報告」(bW3)を校了後に登庁し、「5月26日告示・6月9日投開票」と決まった市長選に伴う議会日程の変更案などについて、事務局の説明を受けました。また、訪ねて来られた何人かの記者さんたちと、竹山市長の辞職について意見交換。
竹山市長辞職のニュースが、昨夕のテレビと夕刊に続き、今朝の朝刊でも大きく報じられています。やはり各紙とも、議員総会を中止して市長の説明機会を失わせた市議会の判断には厳しい論調です。
昨日の議運で、私は「これまでの記者会見で市長は議員総会で説明責任を果たすと言い続けてきた。従って、中止することに反対する」と主張しました。採決してまで「中止」に持ち込んだ3会派は、「市長は説明できないから辞職した」と中止理由を述べていましたが、果たしてそれは竹山市長の意思だったのでしょうか。
なお、朝日新聞(大阪堺・泉州版)には、「無所属の長谷川俊英市議は、『当然辞めないといけない時期だった』としたうえで、『我々もより厳しいチッェクをしなければいけなかった』と述べた」という私のコメントもが掲載されています。
ともあれ、議員総会中止でやっと時間にゆとりが生まれました。朝いちばんに市民相談。続いて、先だってご相談があった常磐町の現場を相談者と共に調査。また、選挙前にメールでご指摘があった公園行政の調査にも取りかかりました。
また、懸案処理が一段落した午後、「満開です」との連絡をいただいた日本桜草を見るため、事務所スタッフも誘って栽培家のHさん宅を訪問。事務所前は今、先日Hさんから届いた桜草に加え、妻の実家の庭で株分けしてもらったエビネ蘭も見事に満開です。
「自民党、公明党、ソレイユ堺の3会派が11時半から記者会見を開く」。との情報が入ったので、急いで登庁。推察どおり、3会派による事実上の辞職勧告を受けて、午後1時に竹山市長が「4月30日をもって退職する」との辞職願を議長に提出するという運びになりました。
もっとも、地方自治法の規定(145条)で、市長は退職しようとする日の20日前までに議長への申し出が必要で、それ以前の退職には議会の同意が必要です。そこで、市長は4月26日に臨時議会を招集することも併せて示しました。
急遽、午後3時から議会運営委員会が開催され、26日の会議は午後1時開会と決定。また、自民、公明、ソレイユ堺の3会派は、明日予定の議員総会の中止を主張しました。しかし、これでは議会が真相究明に背を向けることになります。私は、「予定どおり開催すべきだ」と主張したのですが、多数決で「中止」と決まりました。
議員総会での発言に使用するパワーポイントを作成。「議員活動報告」(bW3)の校正も終えました。もっとも、“予定原稿”は変更が必要かもしれません。