朝、ザルツブルクのホテルを発って、ウィーンへ向かいました。出発直後、休日出勤してくれている事務所スタッフからLINEで連絡が入り、前夜の強風で事務所前の花鉢が倒れ、鉢が割れているとのこと。また、夫君が駆けつけて応急修理してくれたそうです。手間をかけました。
バスは約213q走って、メルクの修道院に立ち寄りました。 当地にも多くの観光客が訪れており、日本でも見られる足こぎ自転車に乗ったかわいいお客さんの姿もありました。
メルク周辺はアプリコット(杏)の栽培が盛んなようで、道路沿いの農園には各所に直売所が設けられています。バスはやがて、ライン川を右手に見るヴァッハウ渓谷(世界遺産)へ。
車道と並行して自転車道が整備されており、たくさんのサイクリストが車窓から見えました。車の屋根や背後に自転車を載せている光景をしばしば見かけましたから、目的地まで車で行き、自転車を活用して自然を満喫する旅スタイルが定着しているのかもしれません。
ともあれ、私たちはヴァッハウ渓谷を車窓観光しながらウィーンへ。約87q走って到着後、「創業550年」をうたうレストランで昼食。その後、バスで市街地(リンク内)の名所を観光しました。
市街地でも自転車で移動する人々の姿をたくさん見ました。自転車の種類も用途に応じていろいろあるようで、3枚目の写真の真ん中の女性の自転車には巨大な荷台が付いています。注目したのは、ほぼすべの人たちがヘルメットを着用していること。義務化されているのかもしれませんが、皆さんよく似合っています。
午後3時過ぎにホテルにチェックイン。心地よいベッドで一休みしていたら爆睡。ちょうど半分の日程で疲れが出たようです。添乗員さんからルーム電話で起こされ、10分遅刻してホテルの夕食会場へ。
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ドイツ国境に接するザルツブルク(現地語=塩の砦)は、近くで産出される岩塩の出荷地とし中世に栄えた町。午前中、バスで87q移動してハルシュタット湖畔へ。世界遺産として観光ガイドブックに必ず紹介される名景の撮影スポットに案内されました。湖に面する柵には「大声・拡声器禁止」の表示幕が設置されています。付近には一般民家もあって、オーバーツーリズムは世界中の観光地での課題なのでしょう。
午後はザルツブルクに戻り、市内観光。異常な暑さで、子どもたちが路上の噴水と戯れています。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地となったミラベル宮殿、三位一体教会、モーツアルトの生家などを巡りました。カンカン照りの下、約2時間の歩き観光が終わったところで、目の前にあったスターバックス店に飛び込んで休憩。熱中症予防のためと思ったのですが、LINEを送った息子から「イスラエル支援企業だよ」と警告が返ってきました。
夜は自由行動だったので、地元の人たちで賑わうビアレストランで夕食。あらかじめネット検索で見つけた、ホテルから徒歩15分ほどの所にある醸造所直営の店です。メニューが読めないと困ると思い、ホームページに掲載されていたメイン料理の写真をスマホに収めていました。写真を見せて注文したのですが、メニューをよく読むと250グラムのランプステーキで、串が刺さったトウモロコシ、衣を付けて揚げたタマネギ、ジャガイモなどが山盛りに添えられています。サラダは別注ながら、ボリュームたっぷり。同店ではいちばん高額な品のようで、周りの地元客のテーブルを見ると、もう少し軽量な料理を注文されている様子でした。隣席の高齢女性2人は白ワインだけで長時間過ごされています。私はステーキを完食し、野菜を少し残しましたが、妻はサラダや添えられた野菜を主に食べたようです。
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もう少し滞在したかった思いが残るプラハは1泊で発ち、チェコ南部の町チェスキー・クルムロフへ向かいました。178qをバスで移動。運転手さんはハンガリーから前夜に到着し、ブダペストまでの5日間、ずっと私たち一行のドライバーを務めてくださるそうです。
1992年にユネスコ世界遺産となったチェスキー・クルムロフは、「世界で最も美しい町のひとつ」とガイドブックに書かれています。34℃の炎天下、高台に建つ城に登ると、上空で綱渡りに挑む人たちがいました。途中でバランスを崩しても命綱を頼りにしばらく休憩し、再挑戦する姿に観光客から拍手も。
城を望む旧市街の展望所付近で、結婚写真の撮影の向かうカップルに出会いました。英語で「撮影してよいか」と尋ねてレンズを向けた写真ですが、左端の女性は日本語で案内してくださった現地ガイド。右腕の黒い雨傘は、ときに説明用の指示棒に、また強い日差しを避ける日傘として使っておられました。ちなみに、撮影を終えて広場で再会した花嫁さんには子どもさんがいました。観光と昼食を終え、再びバスに乗車。国境を越えてオーストリアのザルツブルクまで、201qの長旅です。
夕刻、ホテルに到着して夕食。今日が誕生日の私のためにケーキが用意されており、「83歳になった」と挨拶すると、「11月生まれですが同年です」とおっしゃる男性から声がかかりました。追々の会話で、京都市で障害者対象のカフェを運営されている方と知り、ご夫妻ともに親しくさせていただく機会を得ました。ツアーの総勢は15人で、熟年夫妻6組、友人同士1組と一人参加の方々。ケーキを八等分して一組ずつ賞味していただきました。
ホテルのテレビはバイデン大統領とトランプ氏の討論を報じていましたが、ドイツ語がまったく理解できず、「大統領の失態」は帰国後に知りました。
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昨夜、21年ぶりの欧州旅行に旅立ちました。関西空港22時25分発のフィンエアー機に搭乗し、今朝4時45分(日本時間10時45分)にヘルシンキ空港に到着。6時20分発の便に乗り継いで7時30分にプラハ空港に降り立ちました。ヘルシンキまでは12時間20分。ウクライナ侵攻に伴いロシア上空の飛行を避けて北極点を経由するコースのため、従前より3時間ほど搭乗時間が長くなりました。
フィンランドとチェコの時差は1時間。プラハまでの飛行時間は約2時間。その機内での朝食は「おにぎり」です。「機内食が出ない」と旅行社から事前に情報提供があったので我が家から携行しました。ところが、乗り継ぎ時の手荷物検査で不審がられ、「Japanes rice(ball)」と説明してOKを得ましたが、「Japanes」は不要でした。
空港からプラハ市内に向かうバスから、連結バスを見ました。後で調べると、プラハの主要公共交通機関のひとつとなっているトロリーバスで、架線のない区間を充電池で走行中。パンタグラフは連結部の上部に折りたたんでいます。
今回の旅行はある旅行社が募集した中欧4か国ツアーです。空港からバスでプラハ城へ直行して見学。聖ヴィート教会ではミュシャ作のステンドグラスを前に、「ミュシャ作品は堺市にもある」と現地の日本人ガイドが説明していました。その後、聖イジー教会、黄金の小路を経てカレル橋などを観光。旧市街の広場に。
途中、プラハ市役所の前を通りましたが、集団行動のため中の様子を見ることは叶いません。人々の働く様子を観察したいと思っていたら、オレンジとグリーンの服装で清掃作業に携わる方々に出会いました。
15時にホテル着。近くにあるムハ(ミュシャ)美術館の見学に出かけるつもりだったのですが、土砂降りの雨となり、あきらめました。
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昨日の電話相談に対応するため、相談者とともに北区役所へ。関係課をまわって事情の把握に努めました。また、今朝からメールでのご相談が相次いでいます。それぞれ関係部課に連絡し、対応を依頼しました。
午前中に登庁して、議会局や関係部局などと協議。午後は事務所に戻り、電話による市民相談をお受けしました。
早朝に大泉緑地へ。ハスの花やつぼみがあちこちに見られます。戻ると、我が家では深紅のハイビスカスが開花。夕方、ネムが開き始める瞬間、通りかかった方もカメラを向けておられました。終日事務所で仕事。スタッフと議員活動報告や議会速報に発送について打ち合わせ。
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天候にかまけて外出を控えました。この機会に資料などを整理して片付けたいと思いながら、それもなかなか進みません。とりあえず、近々の予定に備えて準備作業に取り組みました。
予約していた本が届いているとの連絡を受け、北図書館へ。開館1時間後の時間帯でしたが利用されている方の数が多く、ちょっと驚きました。もしかしたら、昨日まで蔵書点検で閉館していたためかもしれませんが、改めて地域図書館の重要性を実感しました。