中百舌鳥駅の南西側で議会報告。今日も大豆塚町の皆さんの応援を得て、南海や地下鉄の各入口で「議員活動報告」をお届けしました。受け取っていただいた数は、前回よりも13%増です。終了後、お招きいただいていた金岡北中学校の体育大会を見学させてもらいました。
ところで、留守の間に来客があって、「前立腺がんの治療法についてアドバイスを得たい」とのことだったようです。戻って、電話を差し上げましたが、さてお役に立てたでしょうか。
今日の最終本会議では、足かけ32年間の議員活動で体験したことのない、自分の立場を実感しました。
竹山市長が提案した阪堺線支援策の補正予算を巡り、議会内の対立構図が緊迫しました。大阪維新の会(13)と公明党(12)が関係予算を削除する修正案を提出。維新に所属する議長に採決権はありませんから、両会派の議員合計は24です。田中丈悦議員が維新・公明側に付くことを表明したため、反対者は25人になりました。
これに対して、市長提案への賛成会派は、ソレイユ(10)、自民(7)、共産(8)の25人。まさに賛否伯仲で、私の対応によって可決・否決が決まることになりました。
提案された支援策は、阪堺線にLRV(低床車両)を導入するためのもの。そのこと自体には維新も公明も反対ではありません。維新の水ノ上議員に至っては、前議会で「低床車両導入は、阪堺線復活の起爆剤」、「まず1両、試験的にでも導入してほしい」、「スピード感が必要で、早期に決断していただきたい」と市当局に迫っていたのです。ところが、その水ノ上議員が修正案の提出者となっているので、「いったいどんな心境ですか」と問いかけました。
●尾を引く2年前の市長選。そして、議会への配慮をかいた市当局
私の質問に水ノ上議員は、「市長から提案があって、率直に喜んだ」と答弁。多くの議員が同様の気持ちではなかったでしょうか。にもかかわらず事態がこじれた背景には、2年前の市長選挙があります。LRT(新型路面電車)を推進しようとした現職市長が敗れ、当選した竹山市長はLRT計画の中止こそ自分の「1丁目1番地」だと強固に主張してきました。前市長を推した「旧与党会派」の議員にとっては、LRT復活に耳を貸さず、阪堺線支援に力を入れる竹山市長の姿勢は不愉快であるに違いありません。そのことを承知していたはずの市長が、十分な説明や意向打診をせず、事を急いだことが一部議員の対応を硬化させた一因です。
●判断に必要なことは「市民の利益、そして市民の思い」
私は、「市当局が議案提出にあたって一工夫すべきだったのではないか」と指摘。しかし、「判断に必要なことは、“市民の利益や市民の思い”だ。高齢者、子連れ乗客、障がい者などにとって、低床車両導入は一日でも早く実現してほしい願いだろう。実現のため募金活動も始まっており、関心ある市民の行動を呼び起こすためにも、市長提案に賛成する」と意見表明。採決の結果、修正案は否決され、市長提案が可決されました。賛否の数は「26対25」でした。
地下鉄・新金岡駅AB出入口で議会報告。今朝も大豆塚町住民の方々の応援があって、お配りした「議員活動報告」は前回の16%増しです。なお、「@出入口に活動報告を入れる箱を置き忘れていますよ」とのお電話を事務所にいただきました。一昨日、天候を気にしながら片付けていて、うっかり忘れてきたようです。すぐ現場に行ってみましたが、すでにどなたかが始末してくださっていたようです。議会報告の後、今日はずっと事務所で仕事。「活動報告速報版」を作り、明日の本会議での発言準備にも打ち込みました。
今日は、最終本会議の議事運営を協議する議会運営委員会です。委員長の姿が見えないので「欠席ですか?」と質問したのに、あいまいな答えのまま開会。なんと、冒頭に委員長の辞表が読み上げられました。表向きの理由は「一身上」ですが、今議会に市長が提案した阪堺線支援の補正予算をめぐって、旧与党会派の対応が分かれることになったのが原因のようです。維新と公明が否決意向であるのに対して、ソレイユと自民は可決意向。共産は賛成を表明していますから、私の対応がキャスティングボートを握るという奇妙な力関係が生まれています。
ともあれ、空席となった委員長を選ばなければなりません。「副委員長を委員長とし、新たな副委員長を会派協議で選んでは…」と提案したところ、昼過ぎにすんなりまとまりました。議運の終了後、財政部や交通部の担当職員から建設委員会での議論経緯などをヒアリング。29日の最終本会議で意見を述べた上、採決に臨もうと思っています。
事務所を出発直後から、車のフロントガラスに雨粒を感じました。それでも「たいして降らないだろう…」と期待しながら、地下鉄・新金岡駅@出入口で議会報告。「会えて良かった。定年で、今日が最終出勤日です」とおっしゃる男性からお声がかかり、「ご苦労様でした」と握手。また、「自宅のベランダで演説を聴いていたけど、声がかすれてる。大丈夫?」と、気遣ってくださった方もありました。期待に反して7時過ぎからは傘をささなければいけないほどの雨となり、8時前まで続いたのですが、終了時刻はいつもどおりです。終わって数えてみると、受け取っていただいた「議員活動報告」は前回よりも2割増、ここ1年間の最高部数が出ていました。雨の日は配布部数が減るのが普通ですが、今日は、大豆塚町2丁の住民の方々が応援に駆けつけ、一所懸命に配ってくださったからに違いありません。
決算委員会の総括質疑の際、夏風邪に苦しんでいる私を気遣ってか、「自分も2週間かかりました」と慰めてくれた幹部職員がいました。確かに、その2週間が過ぎてようやく症状が身体から抜け始めたようです。明日から開始するつもりだった駅前議会報告も何とか実施できそうで、ホッとしています。明朝は、地下鉄・新金岡駅@出入口に立つ予定ですが、前回は5月9日でしたから、ちょうど20週目になります。
事務所で、お配りする「議員活動報告bT1」や、街頭活動に使う機材の準備などをしていると、思いがけない来訪者もありました。皆様にお気遣いいただいて、ほんとうに恐縮です。
「今年2月発行の『清水谷高校PTAだより』に俊英さんのことが載っているので驚いた…」と、届けてくださった方がありました。お孫さんが、いま通学中なのだそうです。
清水谷高校が創立110周年を迎え、「本校百十年のあゆみ」という特集欄に1959年の出来事として紹介されています。「全国優勝」という“戦績”が過大評価されたようですが、実は、このころ各地で「全国大会」と称する催しがあって、私が出場したのは兵庫県立三原高校主催の大会でした。
昨日、数十年ぶりの再会を果たしたOさんの八尾高校でも、新制高校の発足時(1948年)から「全国(初年度は関西)優勝弁論大会」(1968年まで20回)を開いていました。要するに出場招待校の範囲を冠する大会が、あちこちで開催されていたのです。なお、写真は卒業アルバムに「弁論部」として掲載されているもので、「総理大臣旗」も写っています。
同学年の部員は2人でしたが、2年上級に東大阪市議だった久保武彦さん、1年上には守口市議だった山下圭二さん、そして2年下には高槻市議から大阪府議になり、テレビなどで活躍中の山本健治さんが在籍していました。国会議員として「がん対策基本法」の制定に尽力した故・山本孝史さんも清水谷高校の卒業生(1968年)ですが、高校時代に面識はありませんでした。
「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」。まさに論語の一節どおり、心の安まる一日でした。高校時代以来の友人Oさんの来訪を受けて歓談。お互いに「この前会ったのはいつだったか?」と思い出せないほど久しぶりの再会です。おそらく40年以上、顔を合わせて話しを交わしたことがなかったのではないでしょうか。
半世紀前、私たちは、高校弁論部のライバルでした。私は府立清水谷高校の弁論部に所属し、Oさんは名門八尾高校の弁論部。この2人に、三国丘高校のHさん(和泉市在住)を加えた自称「府立校三羽がらす」は、各地の弁論大会で競い合っていました。また、折に触れて相互批評しながら錬磨しあう仲良しでした。
関西大学に進んだOさんは、卒業後ずっと教職にあった人で、府立高校の校長も務め、現在は母校の非常勤講師などをされています。現職教員のころは立場を自覚して控えていたようですが、定年退職後は私の選挙を気遣い、様々な応援をしてくれています。そして、お住まいになっている奈良県のある自治体で「まちづくり基本条例策定委員会」の委員に就任し、私から参考意見を聞きたい…と、訪ねて来てくれたのです。もっとも、Oさんはすでに「住民参加型議会」「子ども参加型議会」など興味深い発想を持っていました。各地の事例など、私の知る限りの情報を伝えましたが、きっとすばらしい「まちづくり基本条例」が作られるのではないでしょうか。この分野で遅れている堺市議会の改革も急がなければなりません。
▼写真は、Oさんが今月初めに送ってくれたものです。
決算委員会・総括質疑での私の発言は、結局、4時半から始まることになりました。大豆塚2丁の住民の皆さんをはじめ、たくさんの方々が聞きに来てくださったのに、傍聴席で長時間お待ちいただくことになり、申し訳ありませんでした。その上、委員会室の傍聴席に入りきれず、音声傍聴室でご待機くださった方々も多く、まことに恐縮です。
今日の議論は、大豆塚二丁会の地縁団体認可について、市民人権委員会(9.8)での質問に続くものです。市民人権委では、会長が提出した「地縁団体認可申請書」に添付された総会(11.14)の議事録が、会則に基づかない違法なものであることを指摘しました。北区長は、「認可取り消しを検討する」と約束しながら、その後、「会則に基づく総会(4.14)も開かれていた」と言い逃れを図っていたのです。
●「総会(4.14)議事録」と称する文書の正体
まず、検証したのは、会長から追加提出があったという「4.14総会議事録」の信憑性と正当性。私が住民の皆さんから提供を受けた当該総会の開催案内文には、「地縁団体として法人化する」などの議題は示されていません。また、念のため54世帯の住民の皆さんに提出していただいた陳述書によれば、総会開会前に地縁団体認可申請のことを知っていた住民は誰一人も居ないのです。さらに、会則によれば総会での議決権は班長にあるのですが、4月から新たに就任した班長が正しく議決権を行使できる状況だったかどうかも疑わしい限りです。
●会長に批判的住民を排除した「地縁組織の区域」
認可申請書には、「地縁団体の区域を明示した地図」が添付されています。ところが、申請前に会員に配られていた「大豆塚二丁会略図」と比較すると、一部の地域が除外されています。そこには会長の強引な運営方針を批判しているMさんの住居があり、Mさんを地縁団体から排除するために強引な線引きが行われたのです。その上、地縁団体説明会の入口で役員らがMさんの入場を拒み、妨げました。今日は、新たにこの事実も指摘しました。
●「申請書類が揃い、認可要件を満たせば認可せざるを得ない」…北区長らの無責任対応
なおMさんは、このような事態を伝えるため、昨年6月に北区役所を訪問しています。ところが、区側はMさんに対し、「正式に申請書類が揃い、認可要件を満たせば、市として認可せざるを得ない。認可できない理由が立たない」と回答。実は、Mさん以外にもたくさんの住民が区役所に足を運んでいるのに、会長らの不適切な進め方を認識しようとはしなかったのです。
●竹山市長が、北区長らのずさん対応を認め、「調査・確認の上、適切に対応する」と答弁
私からこれらの事実を突きつけられた北区長は、「事実確認の上、指導・勧告し、将来的には(認可)取り消しも考える」と答弁。また竹山市長は、「今日のご指摘で、ずさんな対応が分かった。あらためて調査・確認しながら、リーガルチェックを含めて適切に対応する」と約束。担当の芳賀副市長も、「あらためてお詫びしたい。今後、本庁部局を含め、組織を挙げてきちっと対応する」と発言しました。
決算委員会の総括質疑。発言持ち時間がたくさんある会派順に質疑が進みました。維新の会と公明が終了し、ソレイユは途中までで、残りは明日です。私の出番は、おそらく午後3時半以後になるでしょう。総括質疑での発言時間は12分しかありませんので、足りないところは、質疑の後に発言機会がある「討論」で補おうと思っています。