台風24号は和歌山県田辺市付近に上陸。現地は大変だと思いますが、堺市への大きな影響はなかったようです。
そこで、結果が気になっていた沖縄県知事選の開票速報をQAB(琉球朝日放送)のライブ映像で確認。開票が始まってすぐ、玉城デニー氏の当選が報じられました。翁長前知事の遺志を継ぎ、辺野古への基地移設反対という県民意思が、また確認されたのです。奢る安倍政権にも大きな打撃となったでしょう。
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下表は、関西電力が9月27日に発表した台風21号の際の停電状況(堺市全域)です。台風が最接近した4日13時過ぎに始まって、17時には88,900軒に達しました。完全に復旧したのは9日の6時。丸3日、電気のない生活を送られた方々があったのです。
関電は各区ごとの停電状況も発表しており、最大軒数を見ると堺区24,400、西区18,200、南区12,200、東区11,600、中区11,500、北区8,800、美原区3,300となっています。
ただし、5日4時〜6日20時の間は、関電の停電情報公開サービスシステムがダウンして、データ復元ができないとのこと。また、各区の表を比べると、南区で多くの復旧遅れが出ています。
さて、台風24号がまたやって来そうです。皆さんお気を付けください。
なお今日は、午後から市立堺高校の先生たちの訪問を受け、准校長によるパワーハラスメント事件を振り返りました。
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午前中、最終本会議で、8月定例会が終わりました。また、午後は印刷所に赴いて、「議員活動報告」(80)の最終校正を確認し、校了しました。
この「議員活動報告」には、今議会で議論したテーマのうち、「市民目線」とほど遠い健康福祉プラザの利用者対応、学校での性教育、健康増進法の改正と受動喫煙対策、それに、台風21号の被災状況と議会の対応に関する記事を掲載しています。
ところが、台風24号がまたやってきそうです。記事の最後に、(21号の被災を)「大災害への予行的な体験として記録しておきたい」と記したのですが、まさかその大災害とならないことを祈るばかりです。ご用心ください。
「議員活動報告」の校正で、ほぼ一日、印刷所とやりとり。午後遅く登庁して、危機管理室から掲載記事に関する情報提供を受けました。
午前中、最終本会議の議事運営などを協議する議会運営委員会に出席しました。
午後は、21日の雨で順延された金岡北中学校の体育大会を見せてもらいました。吹奏楽部の演奏に続く部活行進。そして3年生からの部活引き継ぎ行事と部対抗リレーなど、みんな楽しそうでした。ただ、降雨が早まったために400mリレー、800mリレーと閉会式は、明日に再順延となりました。
元気よく咲いてくれた曼珠沙華も色あせはじめ、一鉢は片付けました。好きな花なので、一番美しい姿を残したいと思い、一昨日この写真を撮りました。
午前中に「議員活動報告bW0」を出稿。午後から登庁して、関係部課と協議しました。
また、夕刻からは昨夏のリコール運動関係者の会合に出席。堺市民があれほど燃え上がった運動の記録を残すための作業を始めています。発刊の目標は、昨年は署名収集の最終日になった10月28日です。
8月定例会も終盤を迎え、26日議運、28日に最終本会議です。昨日から、閉会後にお届けする「議員活動報告」の作成にかかり、今日、完成させました。明日、出稿して印刷完了後、駅前議会報告は10月5日(金)スタートを予定しています。
毎年お招きいただいている金岡二葉幼稚園の運動会。昨日の予定が天候で順延になりましたが、今日は爽やかな青空です。年長組約100人全員によるマーチングが見事でした。
この幼稚園でも台風の被害があったようで、2日間の休園を余儀なくされたそうです。園庭の南側が近隣公園なので、南からの暴風に大きな影響を受けたのでしょう。
大阪科学技術センターで催された「関西がんチーム医療研究会」に参加しました。奈良県疾病対策課の大井久美子さんの報告によると、同県では2005年から10年間のがん死亡率が23.3%減少。減少幅は全国一だそうです。「その原因は?」との質問に、大井さんは「直接的な原因は不明だが、関係者が一丸となって努力した結果だと思う」と答えました。
なお、その前の演者・大阪府健康づくり課の清田正彰課長には、フロアから「乳がん検診の受診率が低い堺市に、府からてこ入れしてほしい」との要望意見がありました。いささか気になる指摘です。
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決算委員会の総括質疑。台風21号への対応状況についての11局の答弁をまとめると、災害対応の中核を担う危機管理室、災害ゴミの処理に追われる環境局は別として、ほとんどの局で台風後の2日間(5日・6日)が超多忙であったことが窺えます。
もし、台風接近で休会とした4日以後の本会議をさらに2日遅らせ、各常任委員会と決算分科会の開催を13日、14日、18日に繰り延べる日程変更(中図)をしていたら、発災日から3日間、職員は災害対応に専心できました。
5日の議会運営委員会でそのことを提案しようと思ったのですが、「7日は市長が一日出席できない」との説明があって、あきらめました。
しかし、当日の市長の動静(下表)を確かめたら、午後1時〜府庁で世界遺産関連の会議に臨んだ他は、ほぼ堺市役所内か近辺で執務しています。また、府庁の会議は「代理出席も可能だった」と市長公室長が答弁しました。
にもかかわらず、秘書課と議会との間で正確な情報確認ができず、誤認識に基づいて議論が進み、5日・6日に本会議が開かれました。
あのとき、もう一歩踏み込んで再確認を迫るべきだったと反省しています。その結果、市民から「議会開会を阻止したい」との批判(6日のアクション日記)が届く事態となったのです。
質疑の最後に、私は「市民の皆さんにお詫びする」と発言。その上で、今回の事態を今後の災害発生時の教訓にすべきだと主張しました。
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