27回目の陽子線治療が終わり、明日からまた装置のメンテナンス期間に入るため、16日まで治療は休みとなります。ただし、明朝、入院先の病院での検査があるので帰宅は一日延ばしました。午後はいつもどおり、トレーニングジムとプール、そして図書館です。
さて、その市立図書館のホームページで知ったのですが、入院中の病院から粒子線医療センターに通う道路のすぐすばにある神社にも万葉歌碑があります。7月26日のブログに書いた光専寺の近く、所在は「矢野町字森」です。治療の帰り道、当該の「磐座(いわくら)神社」に立ち寄りました。境内の歌碑に刻まれた歌は、「妻籠る矢野の神山露霜に匂ひそめたり散らまく惜しも」と「朝露ににほひそめたる秋山に時雨な降りそあり渡るがね」の二首。作者は柿本人麻呂と思われるそうです。図書館ホームページの解説には、「石見の国と大和との往還の途次、たまたまこの磐座神社境内の黄葉を見聞して、感に堪えずこの歌を詠んだもの」と記されています。写真の鳥居の奥、神殿の前には立派な銀杏の木がそびえ立っていました。なお、碑面の文字は「西本願寺本万葉集」(写真右)によるとのこと。
陽子線治療は26回目。全39回の3分の2まで来ました。熊本市のFさんは今日が最終回。相生市民病院から粒子線医療センターに通っておられたのですが、すでに退院手続きを終え、治療が終わればすぐ帰宅の途につかれるとのこと。お気持ちが分かります。また、今日は照射装置のトラブルで治療開始が30分遅れたものの、何とか午前中に終了。午後は、トレーニングジムと水泳です。
ところで、ジムからの帰りに通うようになった市立図書館のそば、中央公園内の丘にも万葉歌碑が建っています。「縄の浦に塩焼く火気夕されば行き過ぎかねて山にたなびく」。日置少老(へきのおおゆ)という伝記不明の人の歌だそうです。「縄(なは)の浦」は、「那波」(なば)として地名が残っています。
ちなみに、相生湾に面して隣り合う那波村(後に町)と相生村(同)が合併(1939年)して、相生町(後に市)が生まれました。相生駅も、鉄道開通時(1890年)は「那波駅」でした。(出典:相生市教育委員会発行「わたしたちの相生」=小学校中学年社会科の郷土学習資料)
▼写真左=中央公園の万葉歌碑。写真中=「正統那波史」掲載の古地図(中央部の赤い地点は、陸続きではなかった大島)。写真右=兵庫県告示(相生港船舶放置禁止)に示されている相生湾の一部。
陽子線治療は25回目。新たに治療を始める方々が増え、待合ロビーの顔ぶれもかなり入れ替わったようです。
午後、トレーニングジムは休館なので、プールだけを済ませました。また、市議会の控え室にたまっている書類(陳情書など)を持って事務局の職員が来訪。議会改革を検討している「議会力向上会議」の模様や、8月16日に開会する「行政評価等調査特別委員会」の予定、さらに25日から始まる8月議会に向けての段取りなども協議しました。
24回目の陽子線治療を受けました。徳山駅から新幹線通院されている「ハセガワ」さんは、今日で治療終了。検査日も含めて通院日数は40日になるそうです。そして、今日も危うく、受付で取り違えられそうになりました。午後は、いつもどおりジムと水泳です。
▼昼食には「立秋」のメッセージカード。いつもながら栄養科の方々の心遣いに励まされます。
▼写真右は病院廊下の西窓からの夕景。中央の建物は那波中学校で、その右手前が大島山。この山はかつて相生湾内の島だったのですが、300年前(1710年)の新田開墾で陸続きとなったとか。
今日も陽子線治療は休み。昨日同様、トレーニングジムと水泳は午前中にいつものメニューをこなしました。
午後から、相生市に隣接するたつの市御津町の室津へ。室津港は、江戸時代に参勤交代の西国大名のほとんどが、海路でここに上陸して陸路を進んだ地。往時の雰囲気が町並みに残っています。地図も持たずに歩き、家の表で仕事中の地元の方に「万葉歌碑がある場所はどこですか」と尋ねたのですが、首をひねって「万葉岬では…」との返事。「藻振鼻はどちら?」と質問を変えると、丁寧に道筋を教えてくださいました。
さて、その藻振鼻には、山部赤人の「玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はざらむ」を刻んだ黒御影石の碑が建っていました。「辛荷の島」は、碑の背後の播磨灘に浮かんでいる地ノ唐荷、中ノ唐荷、沖ノ唐荷(左から)の三島からなる島です。なお、解説本によると、この歌は、難波方面から官船で西に向かう赤人が辛荷の島を過ぎるときに詠んだ長歌に続く三首の反歌の一つ。「全編妻恋いの気持ちに侵されている」(神野富一著「万葉の歌−人と風土−6兵庫」)と評される望郷歌です。ちなみに、長歌、反歌のすべてを収めた巨大な歌碑が金ヶ崎の万葉岬に建っています。
▼写真右は、犬養孝博士の筆による歌碑の書。室津町並みの中にある「海駅館」の一間に飾られていました。「本物ですか?」と同館の管理人に確かめたところ、「違うでしょう」とのことでした。
8時15分、テレビの前で黙祷。土曜日は治療がないので、午前中にトレーニングジムとプールを済ませました。午後は、1週間分の衣類を洗濯機と乾燥機に委ね、ベッドで高校野球を観戦。もっとも、心地よい午睡にひたっている時間の方が長かったかもしれません。
ところで、昨日のブログに書いた「おってですか?」について、図書館で借りてきた「兵庫県ことば読本」(兵庫県高等学校教育研究会国語部会編)に興味深い記述があります。同会が県内各地域で行った調査の一項目で、「校長先生は職員室にいらっしゃいますか」の「いらっしゃいますか」(ほかの先生に聞くとき)の方言を質問しています。調査結果は、尼崎「イタハルカ」、神戸「オッテカナ」、姫路「イル」または「オル」、家島「オッテカ」、加古川「オリマスカ」、但馬「オリンサルケーナ」または「オンサルケー」、そして、相生「オッテデスカ」。ただし、この調査の質問票には、「子どものころご自身が使っていた方言をご記入ください」と記されています。
陽子線治療が始まって5週間。今日は23回目の照射です。午後は、トレーニングジムと水泳、そして図書館。いつもと変わらない「闘病生活」が続いています。
ところで、入院先のナースたちの言葉は紛れもなく播州弁。「おってですか?」…など、明石市で7歳まで過ごした私としては、まさに生まれ故郷に帰った安らぎを覚えます。
22回目となった陽子線照射。このところ、治療時間が早くなり、午後のトレーニングジムやプールも少し早めの時間に利用できるため、ゆっくりと泳げます。
なお今日は、3人の堺市議が見舞いに来てくれたので、夕景の美しい万葉岬へ案内しました。また、一昨日に副議長が差し入れてくださった「下町ロケット」を治療の待ち時間に読了。ご承知のように池井戸潤の直木賞受賞作で、「現実経済社会はそんなに甘くないだろうな…」と思いながらも、楽しく読みました。爽快感を味わえる本です。すでに、ドラマ化(8月21日からWOWWOWで放送)もされました。ドラマでは、ロケット開発に夢を抱く中小企業経営者「佃航平」は三上博史が演じます。また、原作の正義派弁護士「神谷修一」は、寺島しのぶが女性弁護士(神谷涼子=佃と別れた元妻の同級生)という設定で登場するようです。
今日は、21回目の陽子線照射を前に、担当医師による診察がありました。血液や尿の検査データーからも、治療は順調に進んでいるとのこと。照射位置の皮膚の色変化は異常なものではなく、治療終了後に日を置いて回復するそうです。
午後のトレーニングジムではまた少しウェイトを増し、このところ続けている距離を泳ぎました。丹念に体重変化を計測すると、ジムで0.3s、プールで0.5sの減量が見られます。