《2009.12.6〜8》
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※12月5日以前の日記は、前ページに掲載
12月6日(日)午前中に降り始めた冷たい雨が、一日中、続いています。
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午前中、地元自治会の町内一斉清掃に参加。年末を控えての恒例行事です。
午後は、大泉緑地で催された「切り株サンタづくり」で、子どもたちに混じって挑戦してみました。緑地内で出た間伐材の切り口にサンタクロースの顔を描くのですが、赤、白、黒のペイントを使って、個性的な作品が生まれていました。描いたサンタの内1つは「クリスマスファンタジー2009」に提供し、25日まで園内のどこかに展示されるのだそうです。
12月7日(月)大雪。日本列島は冬型気圧配置で「今冬いちばんの寒さ」だとか…
お昼前にご近所の方の葬儀があって、参列。そのまま登庁して、本会議に向けての情報収集に当たりました。
12月8日(火)太平洋戦争が始まった日。終戦まで、全世界で6千万人が犠牲に…
大綱質疑の初日は、公明党、民主党市民連合、共産党、自民党市民クラブ、クリエイティブフェニックスの5会派代表が質問。竹山市長にとって最初の定例会ですが、ほとんど担当職員が書いた原稿を読むだけだった前市長時代と比べ、質疑の様子はがらりと変わりました。市長自身が積極的に答弁に立ち、原稿なしで自己の主張を語る姿は、どうやら議員の意識も変えたようです。一部にはまだ事前に用意した原稿を読むだけの質問をする会派もありましたが、これでは市長に太刀打ちできないでしょう。特筆したいのは、米田敏文議員(自民党市民ク)の質疑で、前置きとして「国の議院内閣制と異なり、地方議会に与党・野党はない」と主張。すかさず私が、「木原市長のときにもそう言ってほしかった」とヤジを入れると、議場は大爆笑でした。しかし、米田議員の発言はまさに正論で、堺市議会がおもしろくなってきました。
ところで今朝の毎日新聞は、「余録」にこんなことを書いています。「J・スチュアート主演の『スミス都へ行く』は政治腐敗と闘う地方出身の議員を描いた39年の米映画だ。作家の野口冨士男は真珠湾攻撃が伝えられた41年12月8日の午後に東京・新宿の映画館でそれを見たと記している」「映画は野口を含め10人を少し超える観客を相手に、ほそぼそと上映された」(中略)「米国民主主義の理想を説くスミスの演説に感動した観客も、戦禍の門をくぐった68年前の今日である」
日本軍が真珠湾を奇襲し、アメリカに宣戦を布告した1941年12月8日は、私が生まれて163日目。私が「スミス都へ行く」を見たと記憶しているのは、1979年、初めて市議に当選した年です。たった一人、政党や地域地盤に頼らず堺市議会に乗り込んだ自分を、古参の汚職議員に挑む新米議員スミスにダブらせて感激し、また励まされました。1982年に市民の皆さんといっしょに取り組んだ政治倫理条例制定の直接請求運動は、スミスを支えた故郷の少年少女たちとの共闘に学んだものであったかもしれません。
初当選から30年。途中で9年間、元の職場に戻っていましたが、2003年にカムバックした市議会はあまり変わっていませんでした。ところが、議員の8割が「市長与党」だった構造が“政権交代”によって覆り、議会も市民の信頼を得る姿に変わることができるチャンスです。