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 その頃は、祖母も、体調を崩していましたので、その後、母は、私が29歳の時に他界し、祖母も3年後に他界しました。10年近く、家事をやっていましたので、食事を作るのは得意です。一日のカロリー計算をして、母の食事を作らなければならなかったので、いろいろ工夫をしなければなりませんでした。血糖値のコントロールをするのがなかなか困難だったので、インシュリン注射や血糖値の計測など2時間ごとにしなければならなかったのですが、視力と左半身麻痺の母の状態では、無理でしたので、全て私がやっていました。
 祖母が他界した頃には、父が貯蓄してくれていた私の資産は1500万円ぐらいになっていたようです。その間に、父が加入していた保険会社が破綻し、ペイオフや低金利といった状況でもあったので、私の家では、大きなお金は、貸金庫を借りて、現金で貸金庫に保管するようになりました。
 母の介護をしている時に、税金を無駄遣いしなければ、医療や福祉にまわせるはずだという思いが強くなりました。毎月のように役場に種々の申請をするのですが、私自身、特定の町職員から、随分、ひどい物言いをされたり、また、そういう物言いをされている人を見かけることがしばしばありました。
 そんな中、福祉や医療について法律上の制度を、自分で勉強するようになったことをきっかけにして、美原町での違法な税金の使い方がされているのに気付くようになりました。
そこで、それを追及する住民監査請求や住民訴訟を、弁護士に頼まずに自分一人で行うようになりました。
 特殊勤務手当に関する住民訴訟では、被告の美原町は弁護士を立てて応訴していましたが、最高裁まで争って勝訴を勝ち取りました。自分でも、税金の無駄遣いを是正できるのだと実感しました。母が他界して、2年ほど後に、美原町議会議員選挙があり、議員になれれば違法な税金の使い方をもっと是正できるのではないかと思いたちました。政党の支援もなく、当選できる自信もありませんでしたが、当選させてもらいました。美原町議会議員の選挙には、強い意志を持たずに立候補しましたし、落選してもいいと思っていました。旧村の意識が根強いこの美原町で、住民訴訟や住民監査請求を支援してくれる人が、どれくらいいるのか、また、どこまで支持をしてくれるのだろうかという意識の方が当選の意欲よりも正直いって、強かったです。
議員になった後は、常に、少数派で、医療や福祉の充実のために積極的な政策を実現する機会にはなかなか恵まれませんでしたが、税金の違法な使い方に関わる情報に接する機会は増えました。税金の違法な使い方を是正する住民監査請求や住民訴訟は、1人でも行えますので、今でも多くの訴訟を行っています。より多くの人と一緒にやらせて頂くのは、やりがいも有りますし、より多くの声が結集すれば世の中が変わっていくに違いないと感じています。
 市民オンブズマンの活動は、今後も続けて行きたいと思っています。議員になってからは、母や祖母の介護する必要が無くなったこともあって、さらに、違法な公金支出の有無、違法性の調査、住民訴訟の勉強に熱中するようになりました。
平成17年12月に、父が、「おまえのために貯めていたお金で、ちょうど買える収益共同住宅がある。議員も、いつ落選するかわからないし、これからのこともあるやろうから、この共同住宅かっとけ。」と勧められ、共同住宅を買いました。父としては、私の20代を母や祖母の介護や家事をさせてしまったこと、そして社会経験の少ない私のことが心配で、私には、確実な資産を残しておきたいとの気持ちからでたことでした。父の気持ちですので、父の勧めに従って、共同住宅を買いました。
 父と二人暮らしですので、議員になってからも、私が家事を主にやったり、父の仕事を少し手伝ったりしていました。ただ最近は、議員として、急に相談を持ちかけられたりして、夜に住民の方の相談に当るため、その方のお宅に赴いたりして、以前のように、毎日とかは、無理になってきてはいます。

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