※10月5日以前の日記は、前ページに掲載
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《2007.10.6》
10月6日(土)ヤマボウシの実。実は地上の落ちたものを葉の陰から指で支えています。
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ホームページの掲示板がにぎやかです。多くは堺市議会が復活を決めた「海外視察」への皆さんから批判の声ですが、このところ、批判に対する「反批判」の書き込みもあって過熱気味。ちょっと興味をひいた反批判を2つ紹介します。
@今回の海外視察予算は、今回計上されたものではありません。あくまでも19年度予算で承認されているものです。
A同行した市民のヒトは視察費用を一人当たり100万円近くにつかったのに、そのうちの半分のヒトはもう堺に住んでもいていません。
投書の主は「事実を伝えよう」さんと名乗っていますが、別の書き込みをされている「匿名2」と同一の人物でしょう。ともあれ、上記@Aは、よほど堺市議会のことについて知っている人でないと書けません。なるほど、おっしゃるとおり、海外旅行予算は毎年の「議会費」に計上されています。ただ、そこまで予算書をチェックしている市民にお目にかかったことはありません。
また、Aの話は自民党・馬場議員の十八番で、海外視察議論の際にしばしば口にする「市民同行」への攻撃材料です。(参考=2004年7月16日「議会のあり方に関する調査特別委員会」)
●1979年からの海外旅行論争
堺市議会の海外視察をめぐって市民が批判を始めたのは、1979年に計画された「グランドキャニオン&ラスベガス旅行」(中止)。翌年から実施した海外旅行は、住民監査請求や住民訴訟となり、1982年の北欧4カ国旅行は中止。以来、10年の間、凍結状態が続きました。
●「市民同行」を条件に復活した1992年
最高裁判決(1988)で住民側が敗訴してから、また「復活論」が活発化。市民の間でも、「本当に必要な旅行なら市民も同行して共に学べば…」との提案あり、堺市議会はこれを受け入れたのです。その結果実現した1992年のアメリカ視察には、私も参加しました。
●同質社会の弱点を補う…市民やマスコミも注目
全国の注目を集め、66人の応募者から選ばれた2人の市民が参加した視察結果は、帰国後、市民も質問できる報告会を開いて公開。「私たちの参加は、議員という同質社会の弱点を補うものだった」という派遣市民の言葉が、報告会参加者をうならせました。
●居場所が問題なら、参加者で残っているのは私だけ
「参加した市民の1人がいま堺市に住んでいない」と馬場議員や投稿者は非難しているのですが、まったくの的外れ。実施時の市民同行そのものが大きな役割を果たし、成果を残したのです。それに、15年も経った時点での居場所が問題なら、このときに参加した5人の市議のうちいま堺市議会にいるのは私だけです。
●たった1年…市議が窮屈だった「市民同行」はさっさと廃止
ともあれ、市民やマスコミに注視された旅行は、大半の議員にとって窮屈なものだったのでしょう。衆院選への出馬で私が市議会を離れた年に、「市民同行」を海外視察要綱から削除してしまいました。「市民同行」は、海外旅行が復活できれば「もう不要」と捨て去ったのです。
●「市民感覚」のない人が「国際感覚」を身に付けることができるか?
そして、1993年〜2003年に実施した18回の派遣で、のべ68人の議員が公費旅行を体験。行き先は、欧州15回、米国2回、豪・ニュージーランド1回。アジア諸国などはまったく見向きもしないのです。参加した議員の顔ぶれをみて、視察実施のひとつの理由にしている「国際感覚がある」と思い当たる人は何人いるでしょうか。「市民感覚のない人が、どうして国際感覚を持てるのか?」…鋭い指摘を掲示板に書き込んで下さった市民もいます。
●参考=1979年や1992年の堺市議会海外旅行に関する記事は、次のぺージに掲載
「長谷川俊英14年(1979〜1993)の市会議員活動」 1979【0ページ後段】 1992【4ページ】