「体験的・議会改革論」(その3)
都市政治研究所ニュース・レターbQ9(付録)
3 「異質の有用」を実証した市民参加

(1) 「海外視察」の中止から、市民参加へ
 堺市議会では、議員の海外視察について、住民監査請求や住民訴訟が提起され、中止していた時期があった。ところが、1988年の最高裁判決で住民側の敗訴が確定したころから、議会内で「海外視察復活論」が再燃した。
 住民たちが運動をはじめてから10年。市民の海外旅行体験者も増えていた。それに、いわゆる国際化時代。国内視察への公費支出はOKで、海外はNOというのはいかがなものか…。市民グループの雰囲気も変わっていた。
 とはいえ、「海外視察」を復活したいという議員たちの本音もみえている。どうしたら税金の無駄遣いとならない「視察」を実現できるのか。市民たちは、「それほど市政に役立つ海外視察だったら、いっそ市民もいっしょに行けばいいのではないか」という結論をだした。
 そこで私は、復活を協議する議運で、「海外派遣要綱」の策定と、つぎの事項を要綱に盛り込むことを要求した。
 @派遣計画を事前に市民に公表すること。
 A報告書の作成は派遣議員がみずから筆をとって行い、報告書が市民に公開されること。
 B市議会の派遣団を構成する際、公募による市民の代表を加えること。
 C要綱にもとると批判された場合、当該議員に派遣費用の返還を求めること。
 よほど、復活を待ちこがれていたのだろう。Cをのぞいてすべての項目が同意された。

(2) 「市民参加」が視察旅行の様相を一変した
 93年10月、その要綱に基づく最初の海外視察が実施されることになった。同行する市民2人を公募したところ、応募者は66人、じつに33倍という高倍率だった。
 視察先は、アメリカ、カナダ。視察目的は、資産公開制度や情報公開制度の実施状況、住民と議会との関係、市民参加の実態、都市再開発、環境問題、障害者福祉、バイオ規制などと盛りだくさん。朝日新聞から同行取材のための記者派遣の申し入れもあって、受け入れた。
 このとき同行した城石俊弘記者が、「記者ノート」につぎのような記事を書いている。(92年12月25日)

 議員たちも、熱心に質問しメモを取った。ホテルで夜遅くまで資料を読んで翌日の訪問先の予習をする人もいた。ある議員によれば、メモを取ることなど国内視察ではあまり見られない光景だそうだ。報告書を書かなければいけないこともあっただろうが、市民参加が緊張感と活気を与えたのは間違いない。
 視察相手の評価も、「こんな熱心な視察は初めて」(在ニューヨーク日本領事館の大久保基主席領事)、「この種のツアーは観光まがいのが多いが、感心しました」(ニューヨーク市議会議長室のアンジー・タングさん)と、極めて高かった。しかし、それを裏返せばほかの議会の海外視察のお粗末さを物語っている。


 なお、この視察の実施にあたっては、事前研修を3回実施。さらに、有志議員は議会内での英会話の早朝レッスンもうけた。また、帰国後に報告会を催し、市民にも参加を求めて実施したことはいうまでもない。
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