(3) 市民参加は“同質社会”の弱点を補う
 もっとも、この「市民同行の海外視察」については、朝日新聞の「天声人語」が、市民を「監視役」ととらえて、「議員諸公、いかにもまだ自立、自律の無理な幼稚園児のようではないか」(92年7月30日)と書くなど、批判もあった。
 たしかに、ほんとうに必要な視察が、必要な人員や最少の経費と日程で実施され、その成果が市政にきちんと反映されるなら、市民の同行は余分な経費であるかもしれない。だが、残念ながら、議員たちの視察旅行は既得権益的な性格をもっていて、当選回数による参加資格制限やランクづけが行われたりしている自治体もある。
 いったい、「市民参加」はどのような意義をもつのであろうか。同行した市民のひとり、中辻和子さんが報告会で話した言葉は、人びとをうならせた。

 日本の社会は長い間、同質性社会で過ごしてきて、今その同質性社会の弱さや歪みが出てきています。同質性の社会ではどうしても閉鎖的になり、なれあいに流れやすくなります。市議会議員の中に異質な市民が加わることによって、同質性社会の弱点をカバーする働きが内在できたと思います。


4 議会を、市民に開く

(1) バークレー市の「オープン・マイク」制度
 ところで、この市民同行の海外視察で訪れた米バークレー市では、注目すべき「市民参加」を学ぶことができた。
 バークレー市議会は、毎週火曜日の夜7時から開かれる。その会議がはじまる前の30分間は市民の意見を聴くことになっていて、発言希望者は6時までに市役所に行き、所定のカードに名前や住所などを書いて申し込むのだそうだ。発言時間は1人3分、1日に10人までと決められていて、それ以上の申込者がある場合は、申込カードをトランプのように切って10人を選ぶという。
 発言の内容にはとくに制限はない。また、その模様はラジオ電波で各家庭に届き、家にいて市議会の様子を知ることも可能だという。
 「そんな制度があれば、自分の宣伝のためにその発言機会を利用する人がいるのではないですか?」
 我ながら、“程度の低い質問”だと思いながら聞いてみたら、市長補佐官の明快な回答が返ってきた。
 「もちろん、そんな意図がみえる人もいます。でも、それでもいいのです。自由な発言機会があって、それによって市民の目が市議会にむけられるなら、それは民主主義にとって必要なことです」

(2) 議場の構造を変える
 市民が市議会で発言できる仕組みをもっているのは、バークレー市だけではない。このときの視察で訪問したニューヨーク市やトロント市の議場でも、「市民の発言席」を備えていた。次ページの写真はトロント市の議場である。
 日本でも、名古屋市や掛川市、それに堺市が建設中の新庁舎のように、円形議場を設けるところがでてきた。しかし、そのいずれでも、議席と傍聴席は、それぞれの出入口の階さえ異なるほど厳密に区分されている。
「体験的・議会改革論」(その4)
都市政治研究所ニュース・レターbQ9(付録)
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