2月22日(火) 尾崎の宿〜24番最御崎寺(東寺)〜25番津照寺〜26番金剛頂寺(西寺)
四国遍路ひとり歩き同行二人区切り打ち日記 (2005.2.11〜22)
(007)
朝食をいただいている間に、素泊まりのAさんが発ち、続いて、食事を終えたBさんとCさんも出発。ゆっくりされるらしいDさんを残して、私も24番に向かいました。この朝も冷え込み、南国というのに戸外の水槽は氷を張っています。それでも、道ばたの花々が心を和ませてくれる歩行は快調で、休憩中のBさんの先に出ることになりました。
24番にお詣り中、Bさんが追い付き、室戸岬に寄って来たというAさんとも合流。3人で室戸海岸に下って、宿からお接待でいただいたおにぎりを食べました。24番に向かう間、Aさんは「神奈川のおとうさん」(Bさん)と熱心に会話。明日以降の道中を託せそうで一安心です。途中のコンビニで買い物をするというAさんと別れ、25番にお詣り。長い石段を昇る途中、降りてくる若い女性遍路と出会いました。
私が打ち止めにする26番では、昨夜の同宿者、A、B、Cの皆さんのほか、先の女性(千葉県出身)も勢揃い。宿坊での夕食は、長野県から到着して、ここから歩き始めるという男性を加えて6人。食べきれないほど大皿に盛られたお刺身など、料理旅館も顔負けしそうなの豪華な食卓を囲んで、話が弾みました。歩行距離は26.2q。
2月23日(水) 24番最御崎寺〜バスや鉄道での帰宅
朝6時半、全員が揃ってお寺の「お勤め」に参加。区切り打ちを終えて、きょう帰る私は、朝食後、さらに旅を続ける皆さんを見送りました。そして、12日間、無事に歩かせていただいたことに感謝するお詣りをしてから、バス停に下り、帰路に着きました。「アクション日記」参照)
◆終盤の4日間、私のペースに合わせて歩いてくれた短大生のAさんは、「千葉のおねえさん」といろいろ話して、歩きながら考えてきたことにひとつの結論が出たようです。「おねえさんと一緒に山を下りてバスに乗り、いったん愛媛県の祖父母宅に行きます」と、出発の朝、知らせてくれました。千葉出身の女性からも、「同い年の妹がいて、気持ちが理解できる」と聞きました。
◆Aさんは携帯電話から「旅日記」のホームページを更新していて、教えてもらったURLを帰宅後に開いてみると、こんな書き込みがありました。
《堺の紳士》 徳島後半から室戸最後の日まで一緒に歩いた「堺の紳士」(日記参照)が、ご自身の本名を教えてくださり、インターネットで検索したらあたるからとおっしゃっていたので、いとこのパソコンで調べたら、なんと堺市議会議員さんだったことがわかりました。あれ?言っちゃってよかったのかな。ご自身のホームページにもお遍路日記を書いていらっしゃいます。興味のある方はどうぞ探してみてください。「おとうさん、三重の小娘は結局四国を出ます。おとうさんと同じ金剛頂寺で打ち止めです。愛媛のお寺は石手寺などまわりましたが、今度来た時また金剛頂寺から打たせていただきたいと思います。その時また、おとうさんとご一緒に歩かれる奥様にもお会いしたいものです。いつでも、姿勢よく堂々と前をむいていたおとうさんの後ろ姿と、影のお大師さま像を忘れません。いつか、菅さんと同じ道を歩まれるといいですね。それでは、また。よいお参りを…」
◆いっしょに歩いていて、私はAさんの悩みにはほとんど気付かず、元気のいい、真面目で、前向きな若者だとだけ見ていました。ごめんなさい。次に歩くときは、もう少し他人を思いやれるようになりたいと思っています。また、Aさんが言う「菅直人」さんは、38番金剛福寺(足摺岬)まで歩いています。できれば、そこまで追い付いてみたいですね。

■第2回区切り遍路日記につづく■

あとがき